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2006年4月 6日 (木)

古代日本文学は鰯から

この数日は、桜に因んで“桜鯛”のことを書いてきた。数週間前には、あれほど“鰯”礼賛で盛り上げて・・・と、いぶかしむ向きのあったろうことは承知で、心苦しかった。

さて、その話にも出たDHA(ドコサヘキサエンサン)は、桜鯛より、体は小さくても鰯が数段多い。青背の魚は一般にDHAが多いと見ていい。

かつて、手足の冷えに悩んで「手足が冷えると記憶力もやる気も失せるみたいね」と、言っていたら、ある栄養学の先生が「まずはビタミンE不足、そしてグルタミン酸とDHAを摂取すれば、頭の回転はバッチリだ」と一言。

「先生、いい文章は栄養より、才能・クリエイティビティ-なんじゃないですか?」「その創造力を高めるのが、グルタミン酸とDHA。

紫式部が大作を書けたのも、小野小町があれだけの歌を詠めたのもそれだよ」、と言われたら、これは食べてみるより無い。

「食事で才女になれるなら“爪の垢”よりは現実的・可能性あるかも?」・・・。

まず、調べたのが世界三大美女の一人で、当時・六歌仙の一人と言われた、美貌と歌才を欲しい侭にした人・小野小町。

彼女の生きた時代は、庶民の生活は貧しく粗末な食事だったが、貴族や官史(つまり上流階級)の食事は、美味・珍味の贅沢三昧だった。

そんな食事の様子が、小町をモデルにしたと言われる『玉造小野小町壮衰書』に伺える。中でのビックリは、中国の皇帝料理に出てくる“熊の掌”だ。コラ-ゲンやコンドロイチンの宝庫の高級珍味がなぜ?。

小町は出羽国の郡司・小野良実の娘、姉が一人いるが宮仕えに出ていて、通称『小野の町』・・・だから、妹が『小町』と呼ばれた。後に美しい娘を彼女に因んで*小町*と呼んだが、当時は単に小さい・年下と言う意味だったのだ。

姉の町の職業は采女(天皇の食事の世話をする女官)だった。と言う事は、天皇の食事のお下がりに有り付いていたと思われる。天皇の食事は質も最高・量もたっぷりだったらしいから、台所役はお下がりを相当に当てにしていたのかも。

平安時代の身分制度は厳しく、席順から料理内容までが官位によって区別された。皇帝料理の技術進歩は著しく、日本料理の原型はこの頃に出来たと言われ、『厨事類記』にも記録がある。

とは言っても、いかに上流階級と言っても、ご馳走は正月や儀式の時だけ・・・平素は、白粥か蒸し飯・野菜・海藻・小魚・味噌汁の何れか1汁&2~3品が普通。

これは、小町だけではなく、清少納言の『枕草子』や紫式部の『源氏物語』にも描かれている。昆布などの海藻と小魚は平安の市場で売り上げトップ商品だった。

平安美女の条件は、丈なす黒髪・・・海藻の売れるのは当然。小魚では鰯が良く売れた。大量に漁れて安価だったこともあるが、旨いから売れた。庶民の食卓は鰯が支えていた。

ただ、鰯は上流階級では、“イヤシ”と呼ばれ、下魚扱い。お偉いさんの口には、鮮度のいい鰯は届かなかったのだ。焼いて時間が経ち、冷めた鰯なんて・・・食べられたものじゃない。そうでしょ!。

しかし、紫式部は違う。鰯を好んだ。それも焼きたてを好んだから、こっそり自分で台所で焼いたと言う。その立ち昇る煙がもとで、夫婦喧嘩が絶えなかったというのは有名な話しだ。

夫や使用人、世間の冷たい視線をよそに式部は「ひのもと(日本)に はやらせたまう いわしみず まいらぬ人は あらじと思う」と、京の岩清水八幡に詣でると、鰯に参るをかけた歌を詠んだ。さすが!!!。

日本人は鰯だ。小町も式部も、清少納言も海藻のグルタミン酸と、鰯のDHAで、後世に残る文学を書いた。彼女たちの食卓こそ《ブレイン・フード(活脳食)》だった。

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