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胃が疲れたら『お粥』

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Dsc01111 今日から、浅草の恒例・朝顔市が始まる。

近隣に朝顔の花はまだ見ない。

朝顔市の花鉢は温室咲きで、天候の影響がないから、この日に合わせてちゃんと咲く。

雨の日が多くて、季節のいろいろな花や野菜のピークもずれているが、行事だけは例年通り。

朝顔が咲き始める頃は、暑さも厳しくなる時期。

冷たい食べ物は、喉越しがいいが、胃にはあまり優しくない。

そこで、鶏のモツなど使った、中国粥などを取り入れよう。

中国には、インディカ米・ジャポニカ米の他、赤米・黒米・香米など、数え切れない種類の米があり、従って多くの米料理がある。

インディカ米のような、粘り気が無くパラパラしている米は、チャーハン向き。

赤米・黒米などは、粽のようなパォファン(包飯)に。

ジャポニカ米は、お粥が合うが、他にも炊き込み飯、ファンタン(スープかけ飯)、パイファン(白飯)など、米の特徴を活かして使っている。

お粥=ツォゥもちゃんと米料理の一つなのだ。

中国料理の秘術を極めて、文化として認められている。

粥(ツォゥ)は、広東風では、米を糊状になるまで煮込み、使う具も豪華。

上海風は、米の姿・形を壊さぬようトロリと炊き上げる。白粥が主で、小菜と呼ばれる小さなオカズを何種類も添える。

前日の残り飯に水を加えて作る粥は、稀飯(シーファン)と呼び、早朝生活をエンジョイしている北京辺りで、万頭やシューマイと一緒に朝の飲茶に楽しむ。

朝の粥は、一日のスタートを消化器を清めてからと言う『清腸潔胃』の精神に基づく。

総てに“医食同源”の中国、粥も例外なく『薬膳』の考えを重んじ、体調に合わせた具を用い調理する。

一般的なものには、“牛乳粥”“果実粥”“茶粥”“小豆粥”・・・etc。

さて、中国の粥は仏教の影響と、薬膳の考えから発達したが、日本ではどうか。

粥の歴史の始めは、『古事記』にスサノオノミコトに殺されたオオゲツヒメノカミの死体の目から稲・耳から粟・鼻から小豆・股から麦・尻から大豆が生じたと記述がある。

さらに『日本書紀』に、これら五穀をアメノクマヒトが、アマテラスオオミカミに献上・・・とあるから、新道との関わりで伝承されてきたと思える。

各地の神社に、“粥占い”“粥開き”などの神事があること、“七草粥”のように厄除けの風習があることなどに、一端が伺える。

もっとも、日本の古代は、殆どが餅米で、玄米のまま蒸したり、煮たり、時には焼き米にして食べていたわけで、蒸したものを強飯(こわめし)、水気を多く煮たものを汁粥、水気を少なく煮たものを固粥(かたかゆ)と言っていた。

この固粥が、今で言うご飯で、強飯がオコワだ。

つまり、我々現代人は、古代日本の固粥を日常的に食べていることになる。

中国では、米から粥が炊ければ一人前・・・と言われるが、日本の炊飯器は、一人前も半人前も、その壁を無くした。

土鍋で炊くのは美味しいが、最近の炊飯器は土鍋を超えた?。

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