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2006年9月

2006年9月30日 (土)

香りは期待しないで“西洋松茸”

Dsc02930 “西洋松茸”といっても、カナダ辺りから輸入される『輸入松茸』のことでは無い。

“マッシュルーム”のことだが、マッシュルームとは英語でキノコの総称なのだ。

フランス語ならシャンピニオン。

日本でマッシュルームと言えば、全体にやや固めの、外も中も白く軸の短い“西洋タケ”。

和名では“西洋松茸”と言う。ただ、松茸と言っても日本人がイメージする松茸の香気は無い。

別名を何と“馬糞タケ”・・・食べ物には付けたくない名だ。

このキノコはかつては馬糞の堆肥で栽培したので、その名が付いたのだが、今では人工肥料で栽培するので、ある意味、とても清浄な状態のキノコと言える。

白いものが一般的だが、薄茶色のブラウン・マッシュルームも普及してきた。

切ると変色しやすいので、塩水に漬けてから、サッと洗い流して使う。

バター炒め、ホイル蒸し、グラタンなどに入れるといい味が出る。

2006年9月29日 (金)

恋の詩情を“秋刀魚”に託す?

昨日に続き、今日も“秋刀魚”の話。

佐藤 春夫の『秋刀魚の歌』は、殆どの方が一度は読まれたことがあるだろう。

大正12年『我が一九二二年』(新潮社)に収められた異色の詩だ。Dsc02933

あはれPhoto_355

秋風よ

情(こころ)あらば伝へてよ

-----男ありて

今日の夕餉に ひとり

さんまを食ひて

思ひにふける、と

     :

さんま、さんま、

そが上に青き蜜柑の酸(す)をしたたらせて

さんまを食うはその男がふる里のならひなり。

そのならひをあやしみなつかしみて女は

いくたびか蒼き蜜柑をもぎ来て夕餉にむかいけむ。

    :

あはれ、人に捨てられんとする人妻と

妻にそむかれたる男と食卓にむかえば、

愛うすき父を持ちし女の児は

小さき箸をあやつりなやみつつ

父ならぬ男にさんまの腸(はら)をくれむと言ふにあらずや。

    :

あはれ

秋風よ

汝こそは見つらめ

世のつねならぬかの団欒(まどゐ)を。

いかに

秋風よ

いとせめて

証(あかし)せよ かの一ときの団欒ゆめに非ずと。

    :

あはれ

秋風よ

情あらば伝へてよ、

夫を失はざりし妻と

父を失はざりし幼児(おさなご)とに伝へてよ

-------男ありて

今日の夕餉に ひとり

さんまを食ひて

涙をながす、と。

    :

さんま、さんま、

さんま苦いか塩っぱいか。

そが上に熱き涙をしたたらせて

さんまを食うはいずこの里のならひぞや。

あはれ

げにそは問はまほしくをかし。

この詩を書いた頃、彼は妻と別れ、谷崎 潤一郎の前妻・千代に報われない恋情を抱き、その執着心に悶々としていた。

それを知って、第2連と第4連を読むと、その対比が際立つ。

恋情には似つかわしくない“秋刀魚”を使ったのは、第3連の“団欒”に意味を持たせるため・・・大衆魚の秋刀魚を、七輪でモウモウと煙を上げて焼く・・・焼きたての秋刀魚を夕餉に食べる、家庭の象徴だ。

妻と別れた男の食卓に乗る秋刀魚は、冷めかけて、上に絞りかける青い蜜柑(スダチか?)も無い。

内臓の苦さが思い出につながり、余計に涙を誘ったか・・・秋刀魚はさらに塩っぱくて・・・しかめた顔に「げにそは問はまほしくをかし」と自嘲する。

哀切なる恋情と執着を、俗っぽい秋刀魚によって、自虐的に苦笑いしてみせる。これが佐藤 春夫の宿命的な本質かも知れない。

2006年9月28日 (木)

将軍曰く『秋刀魚は目黒に限る』

Photo_356 秋刀魚の季節になると、無性に庭や七輪が恋しくなる。

焼き魚は、炭火で焼ければそれにこしたことは無い。

とくに秋刀魚は、七輪でモウモウと煙を上げて焼くのが一番・・・とは言え、現代の一般住宅では、余程庭の広い一軒家でもなければ無理。

隣家と接していたり、まして集合住宅では、願うだけ・・・グリルでさえ気が引ける。

秋刀魚は、ほかに秋光魚とも、銅况魚などと書くが、いずれも体形の細さと光る皮肌を刀に見立てている。

元は細さから“狭真魚(さまな)”からと言われ、関西では“サイラ”と呼ぶところもある。

近海物は、9月末から10月にかけてが旬で、とくに房州沖のものが美味しいと定評がある。

この時季は『秋刀魚が出ると、按摩が引っ込む』と言われるくらい、栄養価も高く、脂肪に富んで美味。

尾の付け根の辺りが黄色くなるほど、脂の乗った秋刀魚ならばこそ、炭火でジュウジュウいわせて焼きたい・・・焼き立てに大根下ろしをたっぷり添え、いい醤油で食べる醍醐味・・・庭の広い方は、ぜひ七輪で。

『秋刀魚、苦いかしょっぱいか』と、佐藤 春夫の詩でも思い出し、“青い蜜柑をしたたらせ”も良し、内臓のほろ苦さも味わいながら、存分に秋の味覚を楽しもう。

塩焼き、付け焼き、味噌焼き、蒲焼などのほか、煮付けもいいし、バター焼きやフライ、唐揚げ・・・何にしても美味しい。

一夜干しもまたいける。鮮度が良ければ刺身、締め秋刀魚、マリネにも。

秋刀魚の当て字に“三馬”というのもあるが、これでは落語に出てきそう。

落語で、思い出したが『目黒の秋刀魚』という噺がある。

あれは、実話がもとになっていて、三代将軍・家光が、鷹狩りの折に空腹から、目黒村の茶店に立ち寄り、そこで焼きたての秋刀魚を食べて大層気に入ったと言う話。

将軍は「秋刀魚は目黒に限るのぉ」と言ったそうだが、日頃は冷めて味の落ちた秋刀魚を食べているのだから、焼きたての美味しさにビックリしたのだ。

目黒では、秋のイベントとして、焼いた秋刀魚を振舞っている。

2006年9月27日 (水)

ご飯が足りなくなるから『飯借』

Photo_395 さて、瀬戸内海ではこの時季は、名物のサッパ漁が盛んに行われているかと思う。

サッパ・・・と言うより、岡山の方言で“ママカリ”と言ったほうが、全国的に通用する。

鰯科の小魚で、外形はコノシロの似ていて、それより小型。惣菜用に使われる。

現地以外では、酢締めにして市販されていることが多い。

酢漬けや寿司にすると、あまりの美味しさに、炊いたご飯がたりなくなる。

そこで隣家に「お願い、ご飯を少し分けて」と駆け込むことになる・・・これが『飯借(ままかり)』の名の由来だそうだ。

腹に酢飯を詰め、丸く握った“丸寿司”は、岡山の名物料理になっている。

2006年9月26日 (火)

“貽貝”の意外な美味しさ

東京湾の貽貝(いがい)も美味しく食べられるが、陸奥湾・平内町の貽貝は、大きさも味も数段上物。

いっぱい糸を纏っているのは“シュリ貝”と呼ばれて、さらに味がいい。Photo_357 2_18

一緒に写っているのは、フジツボで、これも蒸して食べると濃厚な味がやみ付きになる。

貽貝は、カラス貝に似た真っ黒な貝で、別名“黒貝”とも言う。

カラス貝は淡水産だが、貽貝は海水産だ。

貽貝には、ごく稀に真珠を抱えているものがある。

それで『胎』の字が付いたのだが、この真珠は残念ながら上等品ではない。

殻長は10~12センチ、殻幅は5センチくらいになる二枚貝だ。

水深15~20メートルの岩礁に、群がって棲息しているが、黒い強靭な糸で岩にしっかり着生して、波に流されないようにしている。Photo_358

もし、自ら移動したい時には、この糸を捨て、脚(舌)を伸ばして場所を変え、新しい糸を分泌Photo_107して着生する。

酢の物、吸い物種、巻き寿司の具などのほか、ムール貝のようにクリームPhoto_108煮や、炒め物、マリネにしてもいい。

鮮度のいいものは、シンプルに白ワイン(酒でも)で蒸して、レモンを絞って食べるのが一番。

剥き身を干したものは、中国料理で“淡菜(たんつぁい)”と呼んで珍重されている。

2006年9月25日 (月)

香りでは負けても、味で勝つ“シメジ”

Photo_359 松茸が香りなら、シメジは味で勝負。とくに取れたてほど味がいい。

『香り松茸 味シメジ』と昔から言われている。

湿った土地を好むので“湿地(しめじ)”と言う・・・と言われたが、実は乾燥している土地の方が好みのようだ。

一面に生えるから“占地(しめじ)”だと言う説もある。

千本シメジ、百本シメジ、大黒シメジ、株シメジ・・・と種類も多い。

最近は、白いシメジも登場し人気が出ている。Dsc02645

雑木林(広葉樹林)か、松の混生樹林に、沢山が一株になって生える。

軸は白くて下部がふくれているのが特徴。

近年は栽培が盛んで、通年、店頭に並んでいるが、いまが旬に入る天然物の味は格別だ。

傷み易くて輸送が難しいから、都市部ではなかなか手に入らないが、山間部の“道の駅”などに出ることがある。

吸い物、炒め物、焼き物、煮物、炊き込みご飯、酢の物やサラダなど使いみちが多い。

市販の栽培平茸は、傘が脆く壊れ易いので中火以下の調理が無難。

2006年9月21日 (木)

ドラゴン・フルーツ

Photo_361窓から咽るほどに木犀の香りが流れこんで来る。

金木犀・銀木犀・・・どちらだろう。金木犀の方が強く香ると言うが。

最近、くだもの売り場で見かけるのが“ドラゴン・フルーツ”。

真っ赤な皮に、龍の鱗のような襞が重なっている。

サボテン科の実で、アメリカ産の一回り小さい“カクタス・ペア”や、コロンビア産の“ピタヤ”と同じような味の実だ。

日本では、沖縄・石垣島辺りで栽培されている。

Photo_362甘酸っぱいが、キウイに似た食感で、キウイより甘味がスッキリ・・・ある作家が「太陽の雫を蒸留したような甘さ、これぞ砂漠の味」と言った。

果肉には、赤と白があり、小さな黒い種が散らばるように混入しているが、これは食べても何のことも無い。むしろ、消化促進酵素が入っていると言われる。

ビタミンCが豊富で、美白効果・シミ予防にいいと言う。貧血防止や便秘予防にもいい。 表面に少し皺が出てきた頃が食べ時で、特別な香りは無い。水気も少なめ。

赤い果肉の方は、パンを作るドウとして色付けにすると綺麗。魚介(とくに白身)料理や鶏料理などに赤いソースとして使ってもいいだろう。

メキシコ辺りでは、生ジュースで売られている。

ジャムやゼリーに使う時は、裏漉しして種を除いてから使った方が食べ易い。

2006年9月20日 (水)

金銀瑠璃硨磲瑪瑙琥珀葡萄哉

Dsc02439 タイトルは、日本の葡萄が素晴らしいと、宝石に喩えて詠んだ東洋城の俳句。

『きんぎんるりしゃこめのうこはくぶどうかな』・・・さて、五・七・五か?。

仮名を一文字も使っていない漢詩調の句として知られている。

意は『翠玉色の葡萄の粒が、陽光に映えて煌く様は、自然が造形した七宝の美のごとし』とでも。

因みに、七宝とは、金・銀・瑠璃・硨磲(シャコ貝)・瑪瑙・琥珀・珊瑚のこと。

東洋城は、スラッと六宝目の琥珀まで詠んで、七つ目の珊瑚を葡萄に変えたと思われる。葡萄は、ハウスの普及で、季節を問わず、地域を問わず栽培されているが、十五夜前後が一番の旬だろう。

主産地は、山梨・長野・山形・岡山・大阪・福岡・・・そして北海道。とくに山梨(甲州葡萄)は出荷量からもトップ。

その甲州葡萄は、在来種が基になっていて、源頼朝が文治二年(1186)に、山梨県八代郡祝村に入会山中、路傍に蔓性植物の実を見つけ、自園に持ち帰り移し植えたのが始めとか。

『古事記』にも、エビカズラとの記述があるが、これらは野葡萄の一種で、山に生える山葡萄のことだろう。

日本にも自生の葡萄はあったのだ。

これと、中国から伝来した葡萄を掛け合わせ、改良して、江戸時代には甲州葡萄の土台が出来た。

その後、デラウエァ、マスカット、キャンベル、ベーリーA、巨峰と、次々にアメリカ系やヨーロッパ系の品種が取り入れられ、改良が加えられ、数多くの新品種が産まれた。

人気のある葡萄だが、ミカンやリンゴの生産量に比べてはかなり少ない。

ヨーロッパなどのように果物のトップにならないのは、酒の原料としての使用が少ないからだと思われる。

葡萄には、果糖やブドウ糖が多く、疲労回復に効果抜群。

干すと鉄分が多くなって、貧血予防になる。

葡萄を書いた文学は数多いが、有島武郎の児童文学『一房の葡萄』は、切ないまでの少年の哀愁を書いた美しい作品。

主人公の少年は級友の舶来(外国製)絵の具を盗む。

恥ずかしさと後悔で泣く少年の膝の上に、担任女教師は、黙ってもぎたての葡萄を一房置く。

「真っ白な掌に、紫色の葡萄の粒が重なって乗っていた、その美しさ」を少年はいつまでも忘れず、はっきり覚えている。

「秋になると、いつでも葡萄の房は紫色に色付いて、美しく粉をふきますけれども、それを受けた大理石のような白い美しい手は、どこにも見つかりません」

紫色の甲州葡萄の色を“モーヴ色”と説明している農学書がある。モーヴ色=婦人の机上にある紫水晶の色・・・だそうだ。

2006年9月16日 (土)

江戸前・光り物の代表『コハダ』

江戸前寿司で“光り物”と言えば、代表的なのがコハダ。Photo_394

その幼魚をシンコ(新子)と呼び、9月から漁が始まり、極めて短期間だけ出回る。

シンコの体長は3~4センチ、寿司ファンが待ちかねる希少な旬の味だ。

これを過ぎるとコハダと呼ばれ、2年魚になるとコノシロになる。

ただ、江戸では“この城”に通じ、「お城を食べるなんて江戸っ子のすることじゃねぇ!」・・・って、大きくなっても、コノシロとは呼ばずコハダで押し通した。

シンコはあまりに短期間のもの、コノシロとは呼べない・・・だから、成長と共に名を変えるのに、出世魚とは言わないのだ。

“この城”を食べることさえ気にした江戸っ子だから、火で焼くなんてとんでもないこと。Dsc02558

コハダを焼く料理が無いのは、そんな理由・・・だけじゃなく、なぜか、この魚は煮ても焼いても美味しくない。

酢で洗って刺身にするより食べようが無かったのだが、これが、酢締めにすると、江戸っ子ならずとも「旨い」と言える粋な味になる。

胡瓜や若布などと酢の物、スライスしてトマトや玉葱・ピーマンなどとカルパッチョ。433_3

散らし寿司や握り寿司などに。

コハダの寿司。

2006年9月15日 (金)

“名月”と“満月”の違い

このところ、また俳句ファンが増えていると言う。Dsc02399_1

わずか五・七・五の17文字に、風流を詠い、叙情・心情を表現する俳句には、文字の裏に奥深い重みを感じる。

私は詩を書き、詩集も出しているが、詩も言葉との闘いだ。書き連ねた言葉を削り、磨き、省きながら、心と重ねていく作業は、いつも葛藤ばかり。

たまに、俳句も書いてみるが、研ぎ澄ました感性・・・ではなく、鈍った言葉の羅列に終わる。

俳句と言えば、松尾芭蕉の名を思い浮かべない人はいないだろう。

その芭蕉の句に、

名月や 池を巡りて 夜もすがら

と言うのがあるが、この句の何がスゴイ!!って、『名月』と詠んだ月がスゴイのだ。

たんなる満月ではない、名月だ。名月は一年にたった一夜しか見られない月なのだ。それも、晴れて月が出ればこそ。

その名月が、池にも映り、2個も見られる夜・・・こんな滅多に無いいい夜に、家で寝てなんかいられない。一晩中、空の月&池に映る月を見ながら、池の周りを歩こう・・・さすが芭蕉。

こんなに名月に拘った芭蕉だから、『奥の細道』の道中、敦賀の港で、8月14日が晴れて美しい月夜だったので、翌15日の名月を楽しみに寝たのだろう。

名月や 北国日和 定めなき (北国の天気は変わり易いから、昨日はあんなにいい天気だったのに、今夜は雨で、待ちかねた名月が見られない)

と、嘆いている。毎年一夜限りの待ちわびた名月が、見られなかった無念さを詠んだのだ。

何度も書くが、旧暦8月15日の夜の満月だけを『名月』と言う。

他の月の満月は“めいげつ”と発音こそ同じだが、“明月”と書く。

名月の夜は、秋の季節・90日の真ん中 という意味の“仲秋(ちゅうしゅう)”の夜。

古来、中国では《中秋節》という行事があるが、日本には平安時代に伝わったとされる。

行事として初めて行われたのは、醍醐天皇の御代・延喜9年(909)の8月15日。

秋の季節の真ん中の夜、空は澄み、涼風も吹いて、満月はことのほか美しい。

秋の収穫を祝う《初穂祭》を重ねて、人々は月に“お供え”をして名月を賞賛し、十五夜の宴を楽しんだのだろう。

東京の今夜は、雨こそ降ってはいないが、残念ながら月は見えず、“名月”は来年に期待か・・・。

2006年9月14日 (木)

芋名月に“衣被(きぬかつぎ)”

旧暦8月15日は仲秋の名月、つまり十五夜。Dsc02399

で、この十五夜を別名“芋名月”と言う。

十五夜には、団子(小餅)と衣被(きぬかつぎ)を供える。

つまり、仲秋の祝いは収穫祭でもあるからだ。

この時季に一番美味しい衣被は、里芋の小芋のこと。

里芋は、山芋に対応する呼び名で、旧くは“家つ芋”と言った。『万葉集』などにはそう詠まれている。

熱帯アジアの原産で、中国を経て渡来。赤茎系と青茎系がある。

蒸し上げて、頭を少し切り落として塩を振り、下半分ほどを摘むと、柔らかい外皮からツルリと白い小芋が飛び出してくる。

平安時代の高貴な婦人が、外出する時に顔を隠すために被った一重の小袖・・・薄い衣を被った白い顔・・・衣被、なんとイマジネーション豊かなネーミングではないか。633

シンプルに蒸したのが美味しいが、葱などとの含め煮や、棒鱈との“芋棒”、蛸や烏賊との旨煮、おでん種や汁の実もいい。

串に刺して味噌を塗って焼く田楽も美味しい。

さて、十五夜の供えだが、三方に団子と衣被をそれぞれ乗せるが、乗せ方は、平年なら12個、閏年なら13個をピラミッド形に重ねて、月に向けて並べて供える。

雨模様の天気続きで、明日の十五夜も心配だ。

数日ぶりに陽射しはありそうだが、果たして名月は顔を見せてくれることやら・・・。

2006年9月13日 (水)

“薩摩芋”は栗より旨い十三里

今日は、薩摩芋の話です。Dsc02444_2 江戸っ子が女子を揶揄して「オナゴの好きなものは、芋・蛸・南京・蒟蒻・芝居・・・」と。

この程度の囃し言葉なら、セクハラと目くじらを立てるのは大人気ない。

たしかに、現代女性だって、薩摩芋やカボチャ、蛸や蒟蒻、そして映画やライヴなど大好き。

とくに薩摩芋の、新芋が出る頃になると、そろそろ焼き芋屋の呼び声が懐かしくなってくる。

薩摩芋は、昼顔科の蔓性多年草、南メキシコから中央アメリカが原産と言われる。

日本には、江戸時代に、中国から琉球(いまの沖縄)を経て、薩摩(いまの鹿児島県)に渡来した。

だから、一般には薩摩芋と呼ばれているが、鹿児島では“唐芋(からいも)”で通る。

痩せた土地でも良く育ち、米より収穫が安定して、満腹感がある・・・と言うので、『救荒作物』として広まった。

天明の大飢饉や、太平洋戦争の時にも、薩摩芋に助けられた人は多い。

澱粉が主成分だが、ビタミンB1・Cも多く、カロチンや繊維質が豊富だから、肥るからと敬遠するのは誤解。

同じ量を食べるのなら、米飯より低カロリーなのだ。

しかも、薩摩芋のビタミンCは、熱にも強く、とくに電子レンジで加熱すれば、殆ど損なわれることは無い。Photo_393

ふかし芋、焼き芋のほか、キントンや大学芋、ケーキやスイートポテトなどのおやつから、精進揚げ、スープ、煮物と幅広く使える。

昔ながらの、茹でて干した“干し芋”も、懐かしい味で、いまでも人気があるらしい。

因みに薩摩芋のことを『栗より旨い十三里』と言うのは、江戸に入ってくる薩摩芋は、殆どが川越の産だった。

小江戸と言われる川越は、江戸から約九里、“九里(先の地)+四里(より来た)=十三里”と、栗より美味しいことを洒落て言ったのだ。

薩摩芋のミルク煮(2人分)019

  1. 薩摩芋(大1本)は洗って、皮付きのまま、1センチ程度の輪切りにし、水に晒す。
  2. 1の水気を切って、鍋に入れ、固形スープ(1/2個)、ナツメグと胡椒少々を振り、ローリエ(1枚)を乗せ、牛乳(1カップ)を注いで、中火にかける。
  3. 蓋をして、焦がさないように、鍋を軽く揺すりながら約15分、芋が柔らかになるまで煮る。

薩摩芋が「こんな洋風の味に」と驚くこと請け合い。

塩分も糖分も使っていない上、クリーミー・・・ヘルシーなお菓子の代用に。

2006年9月12日 (火)

秋の風情に欠かせない“栗”

実りの秋を象徴する栗は、古くから栽培されていた。Dsc02702

『古事記』や『万葉集』にも栗は登場する。

“桃栗三年、柿八年”と言うくらい、結実が早く、風土への適応性が強い。

ただ、栗のシーズンは短くて、9月~10月に集中。

一般的に、果樹と言えば“水菓子”と言われるくらい、瑞々しいものだが、栗はその点では穀類に近く、クルミやアーモンドに似ている。

主成分が澱粉と言う事で、奈良・平安時代には穀類と共に、同じ扱いで常食されていた。

ほかには、ビタミンB1・B2、蛋白質も含まれ、穀類に近い栄養価だ。

ブナ科の落葉樹で、日本原生の果樹。古く“五果(柑橘・棗・梨・柿・栗)”の一つに数えられる。

日本栗の原生種はシバグリで、小粒ながら美味・・・ゴルフ場などで良く拾って帰ることがあると思う。

現在、日本で全国的に栽培されているのは『銀寄』。

害虫に強くて早めに出荷出来る品種には、『筑波』『豊多摩早生』があるが、遅い品種では『岸根』が知られる。

栗は害虫が付き易いので、半日くらい水に漬け置き、水を替えることを2~3度遣った方がいいようだ。

ホクホクした口当たりと甘味は、またとない秋を実感させる味覚。

茹でてそのまま食べるのはもちろん美味しいが、アク抜きして渋皮を付けたまま煮る“渋皮煮”は美味しいし、栗ご飯、栗オコワもいい。

栗の甘露煮は手間がかかるが正月にも使える保存食。

旧くは、シバグリを干した物を“勝ち栗”と言って、縁起物にしていた。

菓子や料理(和・洋・中華)に使われる栗の量は、一般市販の倍以上になるそうだ。

欧米の街角で、「マロンショウ、マロンショウ!!」と、声高に売られているのは、ヨーロッパ栗という小型の栗を焼いたもの。

フランスのマロングラッセのマロンとは、料理用の栗で、一般的な栗は「チェスナッツ」と言う。

『甘栗太郎』などでお馴染みの甘栗に使うのは、中国栗。中国北部原産で小粒ながら甘味が強い。

栗の語源は、黒or涅(くり=黒い土・暗い世界)、コロ(石の古語)など諸説あるが決めては無い。

レンジで出来る甘栗を使った中華風オコワ(4人分)647

  1. 戻した干し海老(大2)。
  2. 戻した椎茸(2枚)と焼き豚(100g)と茹で筍(50g)はそれぞれ7~8ミリ角切り。
  3. 葱(1/2本)は8ミリ幅に小口切り。
  4. レンジ対応の耐熱容器に、洗った餅米(2カップ)と、干し海老の戻し汁と鶏がら顆粒スープを合わせて(300cc)、酒(大2)、醤油(大1)、砂糖(小1)、塩少々を加え混ぜ、10分ほど置く。
  5. レンジに入れる前に、胡麻油とサラダ油(小1)を混ぜ、1・2・3の具を入れて、蓋をしたら、500Wで10分加熱。
  6. 上下を混ぜて、殻を剥いた甘栗10~12粒ほど加え、さらに7分加熱。
  7. そのまま約10分蒸らして、盛り付け、あれば香菜など散らす。

2006年9月11日 (月)

嫁にも食わそう『秋鯖』

脂が乗って丸々と肥り、口の中でトロリとするほどの秋鯖は、特有の美味しさ。Photo_392

その味を表す諺として『秋鯖は嫁に食わすな』なんて言うのがある。

そんな古い嫁いびりなど置いておき、美味しいものは皆で仲良く食べよう。

一般に出回る鯖は、主に本鯖と胡麻鯖だが、秋鯖として喜ばれるのは本鯖の方。

『鯖の生き腐れ』の謂われがあるほど、鮮度が落ちやすく、その上、鮮度がおちても分かり難いのが難点。

鯖の鮮度は、眼を見ろ・・・と言うのだが、この時季の本鯖は、脂が瞼にまで蓄えられ、眼が乳白色になっているものもあるくらいだから、不透明な眼の色でも鮮度の目安にはならない。

丸々と身も皮も張りがあるものを選ぶと、脂の乗りが良く、高級魚の鯛などとは違う独特の美味。

本鯖は初夏の産卵直後には、脂が落ちてゲッソリ痩せているのだが、根が貪食家なので、産卵後から旺盛な食欲をみせ、秋に入る頃には肥って、味も栄養も豊富になる。

旬の本鯖は締め鯖、酢の物、昆布締めなどが一番。

塩焼き、味噌煮、船場汁などの定番料理も、もちろん美味しい。

かつて、海から離れた地域の人に、沢山漁れる鯖を運んで売り捌くのにも、鯖は自身が持っている分解酵素で腐り易いので、内臓を取り出し塩漬けにした。

この“塩鯖”は山間の人たちの貴重な海の幸で、とくに若狭から京へ・・・また熊野から大 和へと、塩鯖を運んだ道は“鯖街道”とよばれていた。

京都の“鯖鮨”、吉野の“柿の葉寿司”などは、その産物だ。

鮮度のいい秋鯖を締めて、上質の白板昆布で巻いた『鯖鮨』や、箱に詰めて押しをした『バッテラ』などは、関西の名物だが、最近では焼いた鯖を酢飯に乗せた『焼き鯖鮨』なども人気が出ている。

高級魚のイメージが無かった鯖も、近海物が減り、ノルウェーやオランダからの輸入物が増えた。当然、近海物の値段は高級魚に近づきつつある。

ただ、生活習慣病の予防になるAPE(エイコサペンタエン酸)が豊富なので、この一番美味しい時季にこそ食べよう。

俗に「秋茄子・秋鯖は嫁に食わすな」というのを、どちらも美味しいから“嫁いびり”のように思われるが、秋茄子には種子が無く、子宝を願うあまり・・・。秋鯖は傷み易いので、お腹を壊さぬようにとの思いやり・・・と、解釈したらどうだろう。

鯖のチョイ辛煮(2人分)551

  1. 鯖(2切れ)の切り身が並んで入る大きさの鍋に、出汁(1カップ)、赤味噌と信州味噌(各大1)、醤油と砂糖と胡麻油(各小1)を入れる。
  2. 牛蒡(1/2本)を5ミリ厚さの斜め切り、生姜の薄切りと赤唐辛子の小口切りを各少々を鍋に加えて、火にかけ、煮立ったら鯖を入れる。
  3. アルミホイルを鍋の大きさに形造り、落し蓋代わりに乗せて、中火で約12~15分煮る。
  4. シシトウを加え、さっとひと煮する。

※牛蒡と、赤唐辛子を入れることで、魚の臭みが出ない・・・つまり、誰が煮ても失敗しない。

2006年9月 7日 (木)

下り物は上等な『樽酒』

さて、秋風を感じる季節になった。爽やかな空気に、集く虫の音。

そろそろ、酒もいいか・・・なんて思う夜も。Photo_391

杉樽の芳香がたまらない、と言う左党には、枡酒を冷やで飲むのがいい・・・と頑固人もいる。

ただ、古来から、本当の通人は“重陽の節句(9月9日)”を限にして、冷酒から燗酒に替えるのを習いにしている。

この“重陽の節句”に飲む酒は、枡(杯でも)に菊の花を浮かべ、冷酒の終わりとする風雅な飲み方は、酒を愛する者の心得だったようだ。

俗に、つまらない物や良くない物を「くだらない物」と言うが、これは、かつて、灘や伏見の酒処から、何日もかけて馬車や船で江戸に運んだ樽酒が、揺られるうちに杉の香りが移って、酒に“移り風味”を付けた。

その風味は、関東近辺の地酒では付かず、芳香がある上方からの「下り酒」に対して、味の冴えない「下らない酒」と酷評する結果に。

ここから、良くないものを、下らないもの・・・と言うようになった。

これは、皇族がまだ京都にいらした時代のこと。京へ行く道が“上り”、京を離れる道が“下り”だったのだ。

明治以来、皇族が東京に移られて、上り・下りが逆になったので、言葉を間違ったのではない。

最近、酒で練った羊羹が、隠れたファンを増やしている。

喉を通り過ぎた後に、酒の香りがプ~ンと鼻にくる。美味しい大人の味だが、奈良漬けにでも酔うという方にはどうだろう?・・・。

酒饅頭も然りだが、上戸・下戸を問わず、上品な酒の風味は楽しんで欲しい。

2006年9月 5日 (火)

日本人は“鮪”が好き

Photo_389 友人が、ご主人の仕事に付き合って宮城県・気仙沼に行った。

気仙沼も鮪漁港の一つである。

ご主人の仕事はデザイナーだが、デザインするものの規模が大きい。

町や村を丸ごとデザインする・・・つまり、“町興し”“村興し”の一種だと思う。観光客や企業を呼べる地域開発のようなことだ。

今度も漁港のある某町の依頼で、開発の参考に行ったらしい。

そして、ご主人の見学中に、友人は水揚げされた鮪たちを、携帯メールで私に送ってきた。タグを見ると、パラオの文字が読める。

南鮪(本鮪)だろうか。かなり大きそう。 鮪の仲間には、ビンナガ(ビンチョウ)、メバチ、キハダ(キワダ)などがあり、いずれも紡錘形の体で、泳ぎが上手で速い回遊魚。Photo_390

鮪は、これらの鮪と区別するために、本鮪とか、体色が真っ黒なので黒鮪と呼んでいる。

つまり鮪=マグロ=真黒が名の由来。

鮪の類は、暖かい海が好きで、三陸沖から小笠原、大島辺りの漁獲が一番多い。ただ、青森県・大間や北海道・函館に上がる鮪は、脂の乗りが最もいいと、別格扱いの値が付けられている。

関東では刺身と言えば“鮪”と言うほど人気で、刺身の王者と称される。

昔は赤身が好まれ、トロは安物扱いで、葱や豆腐などと鍋にしたり焼いて脂を落として食べていたが、近年では立場が逆転・・・トロの人気急上昇だ。

刺身、寿司種が主流だが、照り焼きや煮付け、葱マ鍋も美味しい。

2006年9月 3日 (日)

ハワイでカジキ釣り

Dsc02426 この写真は十年前、夫の還暦を記念して、ハワイ旅行をした時に、マウイ島・ラハイナでカジキ釣りをした証拠の貴重なもの。

顔を隠して、ちょっと気持ちの悪い写真になったが、お見苦しいさはお許しあれ。

私は海外旅行に、ツアーは利用しない。

すべて自分でスケジュールをたて、それに添ってホテルも乗り物も、予約を取る。

この段階から旅行は始まっていて、たくさんの資料を検討しながら、計画を練るのが楽しい。

この時の旅行は、ハワイが始めての夫の、しかも還暦を祝う気持ちから、予定は夫の好みそうなことで構成した。

6泊7日、ずっと同じホテル『ハイアット・リージェンシー』にして、そこを拠点にマウイ島や、ハワイ島に行く。

このホテルは浜辺のメインストリートにあり、ワイキキビーチに面している。だから海側の部屋は、オーシャンビュー、そこを予約。

窓の左手には、夫が見たいと言っていたダイヤモンドヘッド、180度開けたワイキキの海。景色の右手にはアラワイ・ヨット・ハーバーなど。

一般的な観光名所は、リムジンを頼んで、一日かけて回った。リムジンだと好きなコースが組めて、好きな時間で移動出来る・・・何しろサービスがいい。

3日目はマウイ島に小型機で飛んだ。

午前中は普通に観光、昼から予約した釣り船に乗り込む。

始めは、鯨観光船にしようと思ったが、時期を逸したことと、夫がTVのカジキ釣り番組を見て、「元気なうちに一度はやってみたいですね」と言っていたのを思い出したからだ。

ハゼや鯵くらいは釣ったことがあるが、狙うのは“マリーン”。真カジキなのだから私としては不安が募る。

海に引き込まれやしないだろうか。夫はまだしも、私の体力はカラキシなのだ。

屈強な若者がそれぞれに付いてくれて、船賃は10万円ほどだったと思う。

釣れないこともあると聞いていたから、期待はソコソコだったが・・・来た!!!。

私に『ビギナー’ズ・ラック』ということ。

夫はもちろん自分の竿を放って、妻がカジキに連れて行かれないように必死。

若者たちも、私たちを冷静にさせようと、日本語で「ダイジョウブ、ガンバッテ」と手伝う。

手伝う・・・いや、彼らが上げてくれた(本当は)。私たちは、竿に掴まっているだけで精一杯で、最後は竿を彼らに任せたんだから・・・。

そんな、格闘があって船に上げられたカジキは、“クロカジキ”とは言え、申し訳ないくらい肌が擦り剥けて・・・可哀想・・・だったが、思い切り大きくて、260kgもあったのだ。

このカジキは、船と契約している漁師が引き取ってくれる。その代金のお蔭で船賃が少し戻ってきた。

船着き場でカジキを上げていると、カラで帰ってきたベテランらしい釣り人が「オー!、マイ・ゴッド」と肩をすくめた。

漁師が引き取っていく前に急いで記念写真。

多分、人生で最初の、そして最後の経験だろう。釣れて良かった。

何もかもラッキーなカジキ釣りだったが、若者たちには、いまでも懐かしさがあ る。

翌日はハワイ島で、キラウエア火山を見て、最後の夜は湾内一周ナバック船の五つ星の最高級ディナーで締め括った。

普通のツアーで行くよりは数倍の費用だったが、それに換えられない経験・体験・思い出が残った。

その時の思い出を、拙い詩にした。

目の前の沖合いに 鯨の親子が群れる浜

マウイ島カアナパリビーチ

ザトウクジラが 数メートルの巨体を 海上に躍らせ

見事な尾鰭を翻して 海面に身をくねらす

空も水も風も みな蒼い

マウイ・ノ・オイ(マウイは最高)

.

「死んだら この海に 散骨してくれ」と

聞いたこともない 明るい声で 夫が話しかける

飛行機嫌いで 海外旅行に付き合ったことの無い人だったのに

欝が続く 私が計画したから 私の気を晴らそうと

喜んで 一緒に来た ハワイへの旅

あちらこちらと回って すっかり気に入ったのが この浜

「私達の骨は此処に散骨しましょうか」と 私も夢のような返事をする

撒いた骨が 鯨の子育てを見守り 子鯨の玩具になるだろうか

夫と私は 顔を見合わせ 密やかな微笑みを交わす

.

ちょっと先には ラハイナのショッピング街

バニアンの大樹が枝から根を蔓のように下ろし

それが幹のようになって また枝と根を広げる

一本の木が 周りに子を育て さらに無数の孫を増やす

みんな繋がっている そんな木陰の街

時には ハレアカラ火山で 十数年に一度だけ咲いて

咲くとすぐ命を終える 幻の花 “銀剣草”に会いに行こう

親と子 そして孫 しっかり繋がっている大樹も良し

溶岩に根を張り 強風に晒され 孤独に花を咲かせて終わるも良し

鯨の群れる海に包まれた マウイの命は それぞれに輝く

.

「アロ~ハ」

現地の青年が二人 背後で声をかけ 

自転車に乗って 手を振って通り過ぎる

「アロ~ハ」

(いつか きっと この島 この浜に戻って来るだろう)

夫も 私も 同じ思いで 日焼けした皺の目立つ手を千切れるほど振る

何時の日か この鯨の集まるラハイナ沖の海水に溶け込みたい

振り続ける 私達の手に 永久の夢が握られた

2006年9月 1日 (金)

すし が すき

まもなく“敬老の日”だが、その前後の一~二週間は一年のうちでも、“寿司”の売り上げがダントツに多い時期だと言う。597_2

祝い事や、祭り、何かの集まりなど、日本人は寿司を食べる。

寿司は、スーパーやコンビニのパック詰め、宅配、持ち帰りなど、寿司屋に行かなくても、手軽に買えるようになった。

さらには、回転寿司が出来て、リーズナブルになり、高級料理のイメージが薄れてきている。

寿司のルーツを遡れば、辿り着くのは東南アジアまで・・・魚を飯と塩で漬けて発酵させ保存したもの・・・魚の漬物だ。

それが、中国を経て日本に渡来、平安時代にはすでに各地でいろいろなスシが作られていた。

そんな初期のスシは現在にも伝えられる“なれすし”で、最も原型を留めているのが、滋賀県の『鮒鮨』だろう。

“なれすし”は、一緒に漬けた飯は食べず、魚だけを食べるが、発酵期間を短くして飯も食べるのが“飯鮨”、さらに 短期間にしたものが“押し寿司”“姿寿司”。  Dsc02537 Dsc02525_2

そんな寿司が江戸に入ってきて、押し寿司を店頭で切り分けて売っていた・・・その一切れから、気の短い江戸っ子はDsc02539_1考えた。

寿司飯に魚を乗せて握ればいい・・・だから、当初の握り寿司の大きさは、現在の倍以上の飯量だった。

それを1貫と言ったが、食べ易いように半分に切って出すようになり、やがて始めから小さめに握るようになった。

だから、その頃は2個で1貫だったのだが、何時の間にか1個1貫と数えるようになった。

寿司屋が同じネタを2個並べて出すのは、2個1貫の名残り。

ただ、冷蔵技術が無かった時代、魚の下拵えには職人技が要された。

魚の酢締め、昆布締め、醤油漬け(ずけ)、煮物・・・いまでも、江戸前の技は下拵えにあると言われるくらい、酢飯に合う調理法が考えられた。

さて、熟れ寿司から、飯鮨や押鮨、握り寿司と変化してきたスシは、庶民によって、地方毎の具を巻き込んだ“海苔巻き”になり、“稲荷鮨”になり・・・因みに、海苔巻きと稲荷がセットになった折詰めを“助六”と呼ぶのは、歌舞伎『助六由縁江戸桜』に由来。

主人公の助六の愛人が揚巻・・・揚げ+巻き・・・油揚げ&海苔巻き=助六好み・・・駄洒落だ。 稲荷鮨には、俵型と三角型があり、関西では三角型で、中の酢飯も具入りが主流。

関東ではシンプルなものが多いが、油揚げを裏返したり、酢飯に柚子や千切り生姜を混ぜたりと、素朴な味がある。伊勢や高知の鰹手捏ね寿司。Dsc02534 Dsc02529

岡山などのバラ寿司。

こうした混ぜ寿司や散し寿司は庶民の隠れた贅沢から生まれた味。岐阜の朴葉寿司、中国・四国地方のオカラ寿司・・・郷土色のある寿司は、旅行のチャンスがあれば、ぜひ食べてみたい味。

家庭で直ぐに食べられる、鮪の漬丼、コハダ丼、その他にも簡単寿司は今チョー人気。

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