すし が すき
まもなく“敬老の日”だが、その前後の一~二週間は一年のうちでも、“寿司”の売り上げがダントツに多い時期だと言う。
祝い事や、祭り、何かの集まりなど、日本人は寿司を食べる。
寿司は、スーパーやコンビニのパック詰め、宅配、持ち帰りなど、寿司屋に行かなくても、手軽に買えるようになった。
さらには、回転寿司が出来て、リーズナブルになり、高級料理のイメージが薄れてきている。
寿司のルーツを遡れば、辿り着くのは東南アジアまで・・・魚を飯と塩で漬けて発酵させ保存したもの・・・魚の漬物だ。
それが、中国を経て日本に渡来、平安時代にはすでに各地でいろいろなスシが作られていた。
そんな初期のスシは現在にも伝えられる“なれすし”で、最も原型を留めているのが、滋賀県の『鮒鮨』だろう。
“なれすし”は、一緒に漬けた飯は食べず、魚だけを食べるが、発酵期間を短くして飯も食べるのが“飯鮨”、さらに 短期間にしたものが“押し寿司”“姿寿司”。
そんな寿司が江戸に入ってきて、押し寿司を店頭で切り分けて売っていた・・・その一切れから、気の短い江戸っ子は考えた。
寿司飯に魚を乗せて握ればいい・・・だから、当初の握り寿司の大きさは、現在の倍以上の飯量だった。
それを1貫と言ったが、食べ易いように半分に切って出すようになり、やがて始めから小さめに握るようになった。
だから、その頃は2個で1貫だったのだが、何時の間にか1個1貫と数えるようになった。
寿司屋が同じネタを2個並べて出すのは、2個1貫の名残り。
ただ、冷蔵技術が無かった時代、魚の下拵えには職人技が要された。
魚の酢締め、昆布締め、醤油漬け(ずけ)、煮物・・・いまでも、江戸前の技は下拵えにあると言われるくらい、酢飯に合う調理法が考えられた。
さて、熟れ寿司から、飯鮨や押鮨、握り寿司と変化してきたスシは、庶民によって、地方毎の具を巻き込んだ“海苔巻き”になり、“稲荷鮨”になり・・・因みに、海苔巻きと稲荷がセットになった折詰めを“助六”と呼ぶのは、歌舞伎『助六由縁江戸桜』に由来。
主人公の助六の愛人が揚巻・・・揚げ+巻き・・・油揚げ&海苔巻き=助六好み・・・駄洒落だ。 稲荷鮨には、俵型と三角型があり、関西では三角型で、中の酢飯も具入りが主流。
関東ではシンプルなものが多いが、油揚げを裏返したり、酢飯に柚子や千切り生姜を混ぜたりと、素朴な味がある。伊勢や高知の鰹手捏ね寿司。
岡山などのバラ寿司。
こうした混ぜ寿司や散し寿司は庶民の隠れた贅沢から生まれた味。岐阜の朴葉寿司、中国・四国地方のオカラ寿司・・・郷土色のある寿司は、旅行のチャンスがあれば、ぜひ食べてみたい味。
家庭で直ぐに食べられる、鮪の漬丼、コハダ丼、その他にも簡単寿司は今チョー人気。



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