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2006年11月 9日 (木)

“お酉様”と焼き芋?

11月の酉の日には、各地の大鳥神社(大鷲神社・鷲神社)に、“酉の市”がたち「お酉様」と呼ばれて善男善女が、家内安全・家業繁栄を祈願した帰りに、並ぶ市で熊手や近郷の産物などを買って帰る。

大鳥神社の本社は堺市にあるが、東京は末社が多い。

中で足立区の鷲神社が本酉とか大酉と呼ばれて有名だ。

何処のお酉様も賑わうが、昔は吉原を控えた台東区の鷲神社が、一番札を貰う人々が前夜から詰め掛けて大混雑だった・・・と、樋口一葉の『たけくらべ』にある。

この酉の日が、11月中に3度ある年は火事が多いと言い伝えられているが、とくに根拠は無い。

今年は今日9日と、21日の2回。3の酉は無い。迷信だと思いながらも、少しホッとして・・・。

さて、江戸時代の酉の市で、縁起物の熊手を凌ぐほど売れたのが“芋頭”。仕事でトップ(頭)に出世出来るようにというゲン担ぎだった。

農家が境内で売る作物は、時節柄、根菜が多かDsc02444_1 ったが、薩摩芋も良く売れたという。

薩摩芋は、救荒作物として、享保20年(1735)に薩摩藩から種芋を譲り受けて、小石川植物園に植え付けされた。

その栽培を幕府に建議したのが後に“甘藷先生”と呼ばれた青木昆陽(文蔵)。昆陽は江戸橋辺りの魚問屋の主人だったが、伊藤東涯に学問を学び、救荒作物としての薩摩芋に目を付け、『藩薯考』を書いた。

時の将軍・吉宗の作付け奨励で、急速に普及した薩摩芋を、江戸では当初は蒸して食されていたが、間もなく本郷に焼いて売る店が現れ、栗に近い味だと“八里半”と書いた行灯を掲げていた。

しかし、「栗より旨いぞ」と言い出す者がいて、“栗(九里)より(四里)旨い十三里”と数合わせのような行灯を掲げる店が小石川に出現。

焼き芋の登場で、薩摩芋の消費量は一気に増大した。

Photo_298 その消費を賄う出荷が、江戸から約十三里の川越だったこと、その川越は徳川家との所縁が深い幕府庇護の城下町だったことなどから、焼き芋=十三里は江戸庶民に定着した。

さて、話を少し戻そう。

薩摩芋は甘藷と呼ばれて、庶民に愛されたが、その功労者・甘藷先生こと昆陽は、晩年に目黒の大鳥神社・南裏に隠居所を建てて住み、敷地の一角に生前自ら『甘藷先生墓』と刻んだ碑を用意。

大鳥神社の酉の市に売られる近在農家の薩摩芋や、人気抜群の焼き芋に眼を細めていたのではなかろうか。

詩人・尾崎喜八がこんな詩を読んでいる。

『昆陽先生の碑前にて』

あぁ 甘藷先生。

平明で豪快なあなたの夢想が、

たうたう私達の国土へ薩摩芋をはびこらせてしまった。

あなたの深謀遠慮を知らない女共も、

あの霊妙なあぢはひは夢寐にも忘れまい。

ヴィタミンとか、カロリーとか、

それもいいだろう、贅沢の利くうちは。

だが、いざとなると、

私のやうに貧乏で活きのいい芸術家は、

いよいよあなたの恩恵をかうむって、

秋の金無垢の芋ばかり食っても豪快な詩を書くのです。

甘藷先生こと昆陽は、薩摩芋の健康効果か享年72歳と、当時としてはすこぶる長命だった。

酉の市がたつ頃は、焼き芋の美味しい季節。セッセと食べて快腸で快調に長生き!!。

薩摩芋は天婦羅も美味しい。

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