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2006年11月26日 (日)

“タクアン”は日本の文化?

漬物はその国の顔・文化。

世界中、各国に独自の漬物がある。北欧のザワークラウト、南欧のピクルス、中国のザーサイ、韓国のキムチなど代表的なものの他、各地・各家庭に自慢の漬物がある。

日本にも、いろいろな漬物があり、冬に向かうこの時季、かつては何処の家でも、漬物などの保存食の準備に追われたものだった。

白菜を天日に当てたり、大根を竿に掛けて乾したり、大きな桶を準備したり・・・。

近年では、年中スーパーなどで、浅漬けから古漬け、梅干もタクアンも売られている。

しかも、最近の若い所帯では、マリネやサラダは食べても、漬物は食べないと言うらしい。

さらに、同じ漬物でも、ピクルスやキムチの方が、タクアンより人気だという。

長い間、日本の食卓で頑張ってきた“タクアン”も立場が無い。

有名な沢庵和尚も墓の下で、さぞ嘆いていることだろう。

沢庵和尚の名は知っていても、実はその墓には行ったことが無い。

行ったこともないくせに、“タクアン”を語るのは申し訳ないが、実は昨日、かつて私が書いた本を捜していて、ビッチリ数列・数段の蔵書の中から、妹尾河童氏の書かれた『タクアンかじり歩き』(朝日新聞社・1983年第1刷)が出てきた。

埃だらけの本を拭き、捲りだしたら、つい読み始め、自分の本のことなど忘れてしまった。

その中に、沢庵和尚の墓は、品川区北品川の『東海寺』にあると書いてあった。

妹尾河童氏といえば、独特の鳥瞰図イラストで知られる芸術家。

この本の中には、写真は一点も無く、氏のイラストとユニークな視点の文章で、全国の沢庵を取り上げている。

先ず初ページが、沢庵和尚の紹介、いかにも、漬物の重石のような墓だ。

沢庵和尚は、大徳寺の住職だった時に、幕府の行政に抗議して、1929年出羽の国(山形県上山)に追放された。

その地で、農民たちに、塩と米糠を使った野菜の貯蔵の一つとして、大根も漬けた。

4年後に許され、徳川三代将軍家光公の重用を得て、品川に東海寺を開山。

ここでも、和尚はタクアンを漬けていたが、ある日、将軍が寺に来て、これを食べて気に入り、「とくに名が無い?、ならば今後は『沢庵漬け』と呼ぶべし、良いか」の一言で、大根を塩と糠で漬けた漬物の名は“タクアン”に決定。

で、本家本元の東海寺でも、“タクアン”と呼んでいるかと言うと、「禅師の名を、呼び捨てにしては失礼、に依って“百本”と」だそうだ。因みに百本は、乾したり漬けたりするときに一桶に入れる単位だったらしい。

“タクアン”が沢庵和尚の名から付いた、という由縁話の方がもっともらしいのだが、『貯え漬け(たくわえずけ)』が訛って“タクアン”になったと言う説もある。

“タクアン”は江戸期から、盛んに漬けられるようになったのは、それまでは玄米食で、糠が出なかったのだ。

江戸時代になり、戦争もなくなり、稲作が盛んになって、水車での搗き米が発達。玄米より炊きやすくて美味しい“搗き米”は、庶民の間に普及した。

ただ、白米を食べるようになって、糠とともにビタミンB1が搗き落とされ、日本人には脚気が多くなった。

米を搗くと糠が出る。糠漬けは、単に塩だけで漬けた漬物より美味しいので、“タクアン”も普及、その漬けた糠から大根にビタミンB1が移行。

当時は栄養のことなど知られてはいなかっただろうが、白米に糠漬けで、失ったビタミンB1を僅かながら補う・・・。

長期貯蔵が出来、切れば握り飯と一緒に携行出来ると、“タクアン”は日本人の生活必需品になった。

日本中、各地・各家庭に自慢の“タクアン”があった。日本の文化だった。

秋田で囲炉裏の上に吊るした“燻りガッコ”、鹿児島の“山川漬け”は糠を使っていないがタクアンと言われる。 各地で生まれた独特の“タクアン”の風味を思い出している。

漬物はその国の顔・文化だと、妹尾河童氏も書いていた。

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