戦の因にまでなった“牡蠣”
日頃は、歳のわりにはガンバッテいる方かな?、と思ってはいても、鏡に写った首筋の皺や、髪にチラホラ見え隠れする白いものは、現実を突きつけてくる。
旬に入った“牡蠣”で、少し若返りを図らなければ・・・。
いまから、どんどん美味しい時季になる牡蠣。
“牡蠣”は、あの『グリコ・キャラメル』の名コピー「一粒で300メートル」の原点なのだ。
牡蠣の主栄養素は、グリコーゲンやコハク酸、アミノ酸の一種・グリシン。
グリコの創業者が牡蠣から抽出したグリコーゲンをキャラメルに加えて、『グリコ』と命名、疲労回復・体力増強を、あの名コピーとランニングする男性キャラとで、広くアピール。
海のミルクとも言われる完全食品“牡蠣”は、そのグリコーゲンをたっぷり含む。
ほかには、ビタミンA・B・Cも豊富で、牡蠣を100g食すと、一日に必要な蛋白質の2/3、カルシウムの1/3、リンは全量、鉄分やヨードは4倍も摂取出来る。
さらには、中高年には欠かせないタウリン、生活習慣病予防や視力向上を助ける。
こんなに優秀な食品だから、各国で古くから愛されている。
ヨーロッパでは、牡蠣を求めて戦が起きたとまで言われているのだ。
シーザーも、ナポレオンも、大の牡蠣好きだったと言われているから、彼らの侵攻が、後世で「牡蠣を求めて故」との一説を生んだのも頷ける。
シーザーやナポレオンが、牡蠣好きなら、彼らの愛人・クレオパトラやジョセフィーヌも、牡蠣を食したに違いない。
美しく若さを保った美女は、牡蠣を食べなくっちゃ!!!
日本でも、牡蠣は縄文時代から食され、貝塚から牡蠣殻が沢山出土している。
奈良時代に、天女のような美人と言われた、允恭(いんぎょう)天皇の后の妹・衣通姫(そとおりひめ)は、伊予の国(愛媛県)に流された恋人を想って、
夏草の あいねの浜の 蠣貝に 足踏ますな あかして通れ
と、『古事記』に詠っている。
自分は行ったこともない伊予の国が、牡蠣の生息地で、岩場に牡蠣殻が張り付いていることを、宮廷に居ながらにして精通しているほど、すでに牡蠣は献上され、貴族に好まれ食べられていた。
平安時代には、貴族は牡蠣の産地にまでこだわり、伊勢の国(三重県)から王朝に献上させたと文献『延喜式』(927年)に記載がある。
牡蠣には、レモン汁の酸味が良く合う。
柑橘類のビタミンCやクエン酸は、牡蠣の味を引き立てるだけでなく、栄養の利用効率を高める。素晴らしく理想的な組み合わせだ。
クレオパトラやジョセフィーヌは、レモン汁だったと思うが、古代日本でレモンはまだ無かったはずだから、衣通姫たちは柚子か橘(たちばな)の実を絞ったのだろう。
ローマでは2000年も前にすでに養殖が始まったが、日本では江戸時代の元禄期(1673~1680年)になって、広島湾で養殖を開始。
洋の東西を問わず、タミナ自慢の男性、若さと美貌自慢の女性たちには、牡蠣は必須食品だ。
勿論、その自慢は他称・自称を問わないし、願望であってもいとわない。
ところで、東京都内で食べられる牡蠣の中では、志摩の“的矢牡蠣”が一番安心して美味しく食べられるのだが、私の思い出の中では、どうしても忘れられない牡蠣があるのだ。
それは、ヨーロッパでは最高の味と評されるブロン種ーーーでは無く、北海道はサロマ湖の天然牡蠣。
自然環境も厳しいだけに、殻も小さく、身は小指半分ほどの物だったが、その味の濃さや香りの豊かさは絶品だった。
厚岸や知床の牡蠣も美味しいが、サロマ湖の牡蠣は現地に暮らす人でもなかなか食べられないと言う。それだけに、一度きりの思い出の味は、憧れに近いものとなって、記憶にこびりついて離れないのかもしれない。
牡蠣を食べ、肌に張りと艶が戻り、ショボショボしていた目がハッキリ見えて・・・あぁ、思うだけでも嬉しくなっちゃう。
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