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2006年12月 6日 (水)

《武士の一分》にみる食事

Photo_182 映画《武士の一分》を観て来た。

時代劇・演歌・・・どちらかと言えば好きな分野ではないが、山本周五郎、藤沢周平の描く、庶民(というより下級社会)の人間模様が好きだ。何ともいえない命の情緒がある。

とくに、藤沢作品には、下級武士たちの、精錬潔白・忠誠清貧・真実薄倖・・・日本人は、我が祖先はこれほどに美しく倹しく生き、命に誠を賭けたのかと、己の日々の怠慢を反省させられる。。

アメリカのアカデミー(オスカー)外国映画賞にもノミネートされた『たそがれ清兵衛』、ベルリン国際映画祭に出品された『隠し剣 鬼の爪』に次いでの、山田洋次が監督する藤沢周平の三作目。

原作は読んでいたから、話の筋・山場・結末などの想定は出来るが、内心ではキャストに少々の不安はあった。

主人公の三村新之丞を演じる木村拓哉は、シティドラマでは卓越した演技で注目されたアイドルではあるが、文学小説を方言でこなせるか・・・そんな私の取り越し苦労は、涙と感涙と、久々に清しい気分に消えた。

『武士の一文』の粗筋は、ここでいちいち書くまでも無く、大方の人はご存知だろう。

主君の食事の“お毒見役”が任務の主人公にとって、食事は何の楽しみも無い“仕事”だった。

が、愛妻・加世が作るささやかな(本当に、現代では考えられないほど質素・粗餐)食事に、安堵して口に出来るホッと思いと、味わえる幸せを感じる。

それは、主君の贅沢な食材には及びも着かない質素な惣菜。

「茄子の浅漬け如何でした?」「明日は、あなたのお好きな芋茎の煮物を作りましょう」・・・こんな会話が為される日常。

一汁・一菜、食後の白湯・・・それが、幸せな食事だとシミジミ感じた矢先・・・突然に不幸は訪れた。

贅沢と言われた“赤螺の刺身”が時季外れで、猛毒の貝毒を有していたために、毒見した結果で失明した新之丞は、やがて魔道のごと『武士の一分』を通さざるを得ない方向に突き進む。

私は、映画の始めから、妻・加世の素足に注目した。細く・白く・・・なんと清潔感のある色っぽい素足かと。この素足が彼女の不幸を感じさせた。

監督は素足に彼女の行く末を暗示させたのだろうか。Dsc03710_1

不義をした加世を、苦痛の思いで離縁し、長く仕える中間の徳平に「不味い飯を喰わねばならん」と(心ならずも)八つ当たりする。

心に忠義であるための果し合い、“必死”の文字通り、死を覚悟した一太刀。

(←パンフレットより)

『武士の一分』を貫いて、我が怨敵・妻の恨敵を倒したが、心は晴れない・・・そこで口にした“芋茎の煮物”。

誰が煮たのか、言わずとも分かる。「おまえの味は、分かる」・・・この一言が夫婦の絆。

ここで煮付けられた“芋茎”は、赤芽芋の茎を乾したもの(ズイキ・イモガラ)だろう。暑い季節のようだったから、乾燥した保存食と思えわれる。Photo_6

ズイキなどは、戦国時代には、下ッ端の雑兵が腰紐代わりに使った携帯用非常食だった。それが好物だと言うから、生活のレベルが分かる。

茄子の浅漬けが一品・・・妻はにこやかに「明日は、あなたの好きな芋茎を・・・」と言う。何と倹しい会話。しかし、この一言の陰には大きな夫婦の幸せと愛情がある。

戻ってきた妻の、芋茎の煮物を口にした時の新之丞の、嬉しそうな幸せな戸惑い。Dsc03711_1

夫は、此処が一番「泣けましたね」と言った。私はその夫の言葉に泣けた。

(←パンフレットより)

時代劇は嫌い・・・でも、これは時代劇ではなく、日本人の心の美意識・人間の信頼と情愛・誠心の映像だった。

シティドラマのアイドルから、本格的な役者と成長した木村拓哉にも驚き、宝塚の娘役から演技者に転身した妻役の壇れいにも・・・ベテランの脇役たちに支えられたとはいえ、二人はこれからが楽しみな存在感を出していた。

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