« グルメ取材って美味しい? | トップページ | 東風吹かば・“梅干”三昧 »

世界中の憧れ【マキシム・ド・パリ】

フランス料理店の頂点として、世界中の憧れを集める【マキシム・ド・パリ】。

本店がパリに開店したのは、1890年代のこと。 097

店名にあるマキシムは、創設者のマキシム・ガイヤールによるものだ。

名物になっているアールヌーボー調の豪華な室内装飾は、1900年の“パリ博覧会”用に作られた。

(左の写真はパリと同仕様の銀座店内、人物を花で隠したのでお見苦しさは失礼)

その装飾が完成してから【マキシム・ド・パリ】は、パリの夜の社交界の中心となり、夜毎に華やかな饗宴が繰り広げられた。

芝居やパーティー帰りの紳士たちが、上等な酒と料理で、プール(メンドリと呼ばれた“遊び女”)たちを相手に、ダンスや大人の恋を楽しむ「夜の遊び場」となった。

小説家のマルセル・プルースト(『失われた時を求めて』の作家)や、プレーボーイで名を馳せたエドワード7世たちが常連だったという。

その頃の雰囲気がオペレッタ『メリーウィドウ(陽気な未亡人)』(フランツ・レハール作曲)や、映画『恋の手ほどき』(ビンセント・ミネリ監督、レスリーキャロン(私の大好きな女優)&モーリス・シュバリ主演)に描かれている。

そうして1900年から、第一次世界大戦(1914年)まで続いた“良き時代=ベル・エポック”のパリを、人々と共に【マキシム・ド・パリ】も謳歌してきた。

そんな【マキシム・ド・パリ】が方針を大転換、1931年には紳士だけでなく、淑女も迎える本格的レストランに変貌した。

名品と言われるワインと超一流の料理で、世界の有名人たちが挙って来店するようになった。

変貌した店は、多くの小説やシャンソン、映画に登場し、その名はいやが上にも有名になっていった。

【マキシム・ド・パリ】を扱った一例には、小説『凱旋門』(レマルク)や『007黄金の銃を持つ男』(フレミング)、映画『さよならをもう一度』(アナトール・リトバーク監督、イングリッド・バーグマン&アンソニー・パーキンス、イヴ・モンタン主演)などがある。

1981年に、経営はあのピエール・カルダンになり、ロワイヤル通りを入って直ぐの左側(コンコルド広場からマドレーヌ寺院に向かう)の店は、世界の名士が食事する頂点とまで言われた。

いまから41年前の1996年に、日本にも銀座の中心部、ソニービルの地下に姉妹店【マキシム・ド・パリ】がオープン。

当時日本でブームになっていたヌーベル・キュイジーヌ(手順を簡略にして、淡白な味を主にした新しい料理法)に対し、伝統的なコクのある本格フランス料理の店を目指した。

パリの本店と同じ店内設計・装飾で作られた【マキシム・ド・パリ】の食材は、大半がフランスから空輸されてくる。Photo_189 101

(左の写真は、何度か行った都度のメニュー(紛失もある)。当日の日付・料理とシェフのサインがある。

右の写真は私が主催したパーティーで(パーティールーム)、バイオリン演奏がシャンソンを奏で続ける。パーティーでなければ先の装飾壁の広間で個別テーブルになる)

私が【マキシム・ド・パリ】で初めてディナーを食べたのは、21年前の「開店20周年記念・スペシャルディナー」だ。Photo_190

その時のシェフはディディア・ガリエン氏。

あまりの素晴らしさに、それからは個人的にも、数度行った。

夫は勿論だが、人生の体験として娘・息子をそれぞれ大学卒業祝いに連れて行った。

その後間もなく、ダニエル・マルタン氏に代わったが、この数年は行く機会が無く、現在のシェフの名は知らない。

因みに、この記念ディナーは3日間だけで、サービス料金として提示したのは破格の¥30000だった(ワインは別料金)。

メインは、テーブル右中ほどの『フランス鴨マグレ シャンベルタンソース フォアグラ添え』。

この料理は天才シェフと言われたエスコフィエが、当時の名女優・サラ・ベルナールのために創作したものだという。

中央の皿は、『舌平目ムースリン オマールクリームソース』。

写真の料理は前以てメディア用に披露されたもので、当日の撮影は禁止(通常の食事も店内撮影は原則禁止)。

つまり、通常は食事に行っても写真は撮れない、ということでメディァ用の写真以外は滅多に公表されません(隠し撮りは?)。

当然ながら、当日は各人用のテーブルで、一品ずつ供された。

こうして全部並べて見ると、スゴイ品数で、かつ一皿のポーションも半端じゃないのだが、美味しさと雰囲気とで綺麗に食べられた。

« グルメ取材って美味しい? | トップページ | 東風吹かば・“梅干”三昧 »