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“浅川地下壕”で平和を願う

昭和20年3月10日、戦争経験者には忘れられない日、敗戦の暗雲が漂い始める・・・東京大空襲があった日だ。

都内では各所で、慰霊を含めて記憶を記録しようという集まりがあった。

私は、終戦の年に産まれ、ある意味では「戦争を知らない世代」だが、満州から引き揚げてきた父母の苦労も知っているし、かなり年長の夫から敗戦が決定した日のことも聞いた。

だから、自治会からの誘いで“戦争遺跡を訪ねる”と聞いて、直ぐに参加の申し込みをした。

《淺川地下壕》266 (封鎖された入口)

東京都八王子市高尾の“浅川地下壕”の存在を知っている人はどれくらい居るだろう。

その前に、長野市松代(当時の埴科郡松代町)の、“松代大本営跡”の存在は知っているだろうか。

第二次世界大戦時に、東京では防衛能力が低いと考えていた陸軍が、本土決戦を想定して、海から離れた場所への中枢機能移転を計画。

1944年にサイパンが陥落、東条内閣は皇居・大本営・その他重要政府機関を、松代に移すことを決定。

結果は、大規模な地下壕のどれもが使われなかったが、跡地はどうなっているのか。

“松代大本営跡”として、象山、舞鶴山、皆神山の地下壕があるが、一般公開されているのは象山地下壕の一部で、ここには信州大学の宇宙線観測施設もある。

舞鶴山地下壕は、気象庁の地震観測所として日本最大の精密観測がされている。

皆神山は備蓄庫だったが、地盤が脆く、現在は入れない。

さて、話を“淺川地下壕”に戻す。

ここも、松代の地下壕と同じように、陸軍の計画で掘られた。

初期の計画では、ここが大本営になる予定だったが、それは1944年5月に信州に変更された。

松代の地下壕が3箇所合わせて10kmなのに、ここは一つの地下壕だけで10kmを超す。

全国に500以上あるとされる地下壕の中でも、大本営の予定地にされた松代に次ぐ地下壕だ。

当初は備蓄庫の目的で掘られたが、戦争終末期に、軍用飛行機のエンジン製作工場(中島飛行機武蔵製作所第1製造廠)に変更、実際に一部は稼動、10機ほどのエンジンが作られた。

敗戦のその日まで、掘削工事は続いたが、戦後は機械類だけが運び出され、地下壕は埋め戻されることなく、そのまま残された。

秘密に掘られた地下壕の存在は、一部が公表されただけで、表に出ることなく、1989年に団地や学校の工事が始まって、大きな陥没事故から公になったのだ。

1991年にやっと戦争遺跡として認められ、その後実測も始まった。

そこで、これまで放って置かれた“淺川地下壕”も注目されることになったのだ。

戦後50年が過ぎる頃から、戦争を語り継ぐ人が減っていき、戦争の遺跡(地下壕など)の意味や経緯が忘れられていく危惧が語り始められた。

「戦跡考古学」という研究も始まり、「戦争遺跡保存全国ネットワーク」も設立された。

巨大な地下壕の上には、団地もある。密集する住宅地、学校・・・そんな人々の生活に迷惑がかからないような調査や研究、保存活動を続けるのは大変なことだ。

現に、松代や大谷に比べ、淺川地下壕の上にある土地の殆どが民間企業の所有地で、立ち入りもままならない上に、市・県・国に支援体制も後ろ向き。

想像を絶するほどの地下壕の殆どが立ち入れない状況にある。

一部、現在は公開されている部分も、東京大学地震研究所が精密機器を入れていることや、出入り口が民家の庭先であることから、年に数度の公開になっているそうだ。

しかし、戦跡をこのままにはしておけないと、松代に続いて10年前に「淺川地下壕の保存をすすめる会」(http://www.geocities.jp/takaotown)が設立され動き出している。

真っ暗な、底無し沼のように先が見えない地下壕。267

暗い話が数多く残るだけに、掘削された壁面から戦争の悲劇が見えそうだ。

埋設されたままのダイナマイトも発見されている。

硬い岩盤に残るそれらの痕跡は、多くの悲惨を伝え、岩の割れ目から滴る雫は涙のように冷たく砂利の山に吸い込まれる。

多くの犠牲を払った地下壕の掘削、そこには朝鮮から連れて来られた多くの人たち労働があった。

その労働対価としては、実際に掘削に関わった労働者には、日に白米7合、運搬その他は白米3合のほか麦やトウモロコシが配られたと記録がある。

当時の一般食糧事情から見れば、待遇としてはいい方だったと言えるだろうが、犠牲者に対しての保障は書かれてはいない。

溜まった雨水にも、崩れそうな天井にも、二度と戦争が無いように《平和》を祈るのみ。

明日は、朝のうちにお参りした“武蔵野御陵”と。高尾で食べたイワナの話。

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