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2007年5月17日 (木)

初鰹で和風カルパッチョ

目に青葉、山不如帰、初鰹』(元禄時代の俳人、山口素堂の句)・・・生の鰹が美味しい季節になった。Photo_111

早いものでは3月末頃から店頭に並んでいたが、この時期の生鰹を“初鰹”だと思っている人もいるようだ、が、それはブーッ!。

厳密には、旧暦の四月朔日(1日)、つまり今日から一週間以内に、関東沖で獲れたものだけを“初鰹”と呼ぶのだ。

そして、この“初鰹”は江戸時代には、とてつもない高級魚だった。

「女房を質においても---」と、江戸っ子たちは目の色を変えてもてはやしたが、その値段はベラボウで、『俎板に、小判一枚、初鰹』(其角)、『初鰹、銭と芥子で、二度泪(なみだ)』・・・小判一枚なら米が約450kg、いい着物が1枚や2枚は買えたという。

「初鰹を食わなきゃ男がすたる」って言う見栄っ張り亭主は、やっと買った鰹を『井戸端で、見せびらかして、刺身をし』と長屋中に見せ付ける。

「そんな金が有るくらいなら」って女房はムッとする。『その値では、袷が、新しくできる』と小言も、一度では治まらない。

初鰹、女房に、小一年いわれ』となるのだ。

初鰹の一週間を我慢すれば、『初鰹、俄かに安く、なる魚』と、一気に安値になるのだが・・・人より早く食べたい江戸っ子の性はしょうがなく、川柳だけで一冊本が出来そうだ。

怒り心頭で『意地づくで、女房鰹をなめもせず』の、女房の仏頂面に、『その面で、芥子を掻けと亭主言い』なんて古川柳がたくさんある。

怒りに任せて掻く芥子は良く効いた・・・初鰹の刺身には芥子だったのだ。

それにしても、江戸っ子が異常なまでに初鰹に狂喜したのには訳がある。

北大路魯山人はその著『料理天国』の《いなせな初鰹》に、「冬から春にかけて、シビ鮪に飽き果てた江戸人、酒の肴に不向きな鮪で辛抱してきてであろう江戸人、肉のいたみやすいメジ鮪に飽き果てた江戸人・・・が、眼に生新な青葉を見て爽快となり、何がなと望むところへ、サッと外題を取り換え、いなせな縞の衣を付けた軽快な味の持ち主、初鰹君が打って出たからたまらない。何はおいても、となったのではなかろうか」と書いている。

当時の江戸前は、冬から春先は魚不足で、刺身大好きな江戸っ子は、たいして美味しいと言えないシビマグロやメジマグロで我慢している。

そんな我慢にも飽きた頃、藍縞の衣装で身を包んだ、シャキっと粋でイナセな姿で颯爽と登場するのが“初鰹”。

待ってました~!!、旨い刺身で旨い酒。

まして頃は新緑の風薫る季節。バッチグーッのタイミングだ。

池波正太郎の『梅安料理ごよみ』の《鰹の刺身と鰹飯》には「「梅安さん、まず刺身にしようね?」「むろんだ」「それから夜になって、こいつ(鰹)の肩の肉を掻き取り、細かにして、鰹飯にしよう」「それはいいなぁ。よく湯がいて、よく冷まして、布巾に包んで、丁寧に揉み解さなくてはいけない」「分かってるとも」「薬味は葱だ」「飯にかける汁は濃目がいいね」」と書いてあり、高価な鰹、美味しい鰹を刺身にしたあとの、粗や骨から梳いた身も無駄なく使ったことが分かる。

Photo_160 この鰹飯は、炊き込みではなく、粗や骨から梳いた身を、丁寧に解してご飯に乗せ、濃い目の出汁醤油で、葱を薬味にお茶漬け風に食べたのではないだろうか。

(写真は、粗ではないが、鰹身の漬け丼)

鰹はサバ科の回遊魚で、常に黒潮の水温が20℃くらいの深海上層部を群游している。

だから鹿児島では初春、四国沖で春、関東近海は初夏、三陸は夏・・・その頃が海岸近くに接近しているわけだ。

そして、北海道南方辺りからは、遠い沖合いの中層を南下し始め、再び南の海に向かって群游していく(戻り鰹)。

つまり、土佐沖では、まだ脂が乗っていないから、鰹節にはピッタリ・・・薬味たっぷりのタタキで食べると美味しいのもその訳だ。

それが、関東沖だと脂が乗って、鰹節には向かないが、刺身ならこんな旨い魚は無いとなる。

鰹の和風カルパッチョ2_7

  • 大葉と新玉葱の薄切りを皿に敷き、鰹の刺身を並べて、万能葱の小口切り、茗荷千切り、ニンニク薄切りなどを散らす。
  • オリーブ油に醤油と酢を加え、芥子を溶いて回しかける。

※鰹や野菜を切るだけ(刺身に切った鰹ならもっと簡単)で豪華に見える。

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