砂の味と言われた日本の梨
洋梨と区別して、あえて日本梨と言ったが、長十郎や二十世紀、幸水などの名で呼ばれる梨のことだ。
リンゴや葡萄、サクランボなど、私たちが馴染んでいる果物の多くは、明治時代の初期に欧米から渡来したものだ。
しかし、柿や桃を凌ぎ、ミカンやリンゴに次いで第3位の生産量を誇る梨(日本梨・和梨)は、日本で最も古い(柿より古い)栽培の歴史を持つ、日本古来の果物。
わが国最古の正史『日本書紀』(720年)には、「栗、梨を五穀の助けとする」の記述がある。
飢饉に備えた、救荒作物として、栽培が奨励されたらしい。
そんな古来から日本人が愛し、いまでも人気の梨だが、これまで海外では“サンドペア”と呼ばれ、砂を噛むようだと見向きもされなかったのだ。
西洋梨のネットリ感が“バターペア”と呼ばれて好まれてきたのだから已むを得ない。
それが、この四半世紀で、輸出量は増大の一途。ミカンに継ぐ輸出果実になっている。
日本食が外国で人気を得たことも、一因かもしれないが、日本梨(とくに二十世紀)のさっぱりした味と、滴る豊富な果汁が外国人にも好まれ出したようだ。
アメリカでは、『“二十世紀”は第2のトヨタか?』なんていう論文まで発表されたくらい、輸出増大が注目され、話題になったそうだ。
和梨には赤系と青系があり、赤系の代表は“長十郎”、青系の代表は“二十世紀”。
長十郎は、明治27~28年頃、川崎大師傍の当麻長十郎さんの赤梨園で、突然変異で出来た。「大師様のご利益」と喜んだと言う謂れが、川崎大師境内の石碑にある。
二十世紀は、同じく明治26年に、千葉県松戸の旧家・松戸覚之助さんのゴミ捨て場から生えてきたと言うが、多分青梨の“太白”の種が発芽・実生の苗になったらしい。
この苗は5年ほどして実をつけたそうだが、あまりの美味しさに「これぞ二十世紀の梨になる」と松戸さんが二十世紀と命名、20世紀になる3年前のこと。
最近の市場人気では、長十郎と二十世紀との交配で出来た“幸水”が一番人気。
兄弟分とも言える“豊水”や“新水”より、ダントツの売れ行きになっている。
「桃・栗3年、柿8年・・・梨の大馬鹿18年」なんて言われたのは昔、栽培技術が進んだ現在では3年もすれば収穫出来ると言う。
鳥取農協にある『二十世紀神社』のご神体は、二十世紀梨の枝。
明治37年に、これと言った産業の無かった鳥取県の、農政研究家・北脇永治さんが、火山灰や砂地の多い土地にも適す梨栽培に目を付け、千葉県の松戸さんに頼んで指導を受け、苗を譲って貰った。
これが成功して、鳥取県は二十世紀梨の生産王国に発展。
感謝の意を込めて、皇紀2600年(1940)を祝し、初めて植えられた原木の枝をご神体にした。
私が住む隣接市にはそのまま地域名を付けた“稲城”という品種がある。
子供の頭ほどの大きさで、果汁たっぷりなので、日頃お世話になっている方たちに配りまくるが、1個が\1000とはちょっと・・・思って貰えるかなぁ。
他にも、“新高”という巨大梨もあるが、日本梨も品種改良で世界席捲も再び・・・かも。
- 梨(1/4個)は皮を剥いて、横半分にし、更に薄切りする。
- モッツァレラチーズ(70gくらい)は一口大に切って、切り離さないように切込みを入れる。
- 2の切り込みに、1を挟み、フライを揚げる手順で、小麦粉→溶き卵→パン粉を付け、170度くらいの油で揚げる。
- 衣が色づいたらOK。
※梨もチーズも火を通す必要はない。揚げすぎるとチーズが溶けて流れるので注意。
天婦羅やフライにした梨も美味しいものだ。
《ば~ばの食べ物事典》を作りました。ご参考になれば幸甚。
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