夏こそカレー(その2)
昨日についで、今日もカレー、その歴史の話続き。
夏こそカレーの季節だ、ということで日本の夏カレーを(レシピは記事の終わりに)。
インドから、イギリスに持っていかれたカレーは、すぐにヨーロッパ中に広まり、C&B社が“カレー粉”として売り出して大ヒット。
間もなく日本にも持ち込まれたが、日本で作られたカレーは本場インドはもとより、イギリスとも似ても似つかないものに変わっていた。
それでも、明治初期から中期、末期と、材料や作り方を工夫して、次第にそれっぽいものに近づいてはきた。
大正時代に入り、サラリーマンが増えると、カレーライス(当時はライスカレー)人気はますます拍車がかかる。
大衆食堂がどんどん増え、“安い・旨い・早い”昼食が大流行。丼物、一皿物が売れた。
中で超人気メニューが、丼ではカツ丼、一皿物ではダントツでライスカレーだった。
こうした洋食文化の中心は、東京・神田の『須田町食堂』。
昭和初期になり、庶民受けしていたライスカレーを、レストランの花形メニューとして位置付け、カレーライスにしたのが、新宿『中村屋』と銀座『資生堂パーラー』、大阪・梅田『阪急食堂』の各店。
(余談だが、この三店を食べ比べてみた。それぞれに個性がくっきり分かる。
しかし、いずれにもスパイスや調理法に苦心の歴史を感じる。
そして各店がそのオリジナリティーを各店の個性として、その流れを汲む店に伝えているのも感じられて嬉しい)
とくに新宿『中村屋』は、他店に比べかなり高額料金だったが、それまでの日本のカレーとはまるで違う味わいで、「これが本場インドの味」と話題を集め、評判になった。
その『中村屋』の、本場インドカレーは、中村屋の娘婿になった、インド独立の志士、ラス・ビバリ・ボーズ氏が作り伝えたものだ。
カレー人気は高まるばかりで、日本でもカレーに魅せられ、カレーに人生を賭けた人を多勢世に送り出した。
キンケイ食品の森村社長、ヱスビー食品の山崎会長などが代表格だろう。
家庭用の、カレールゥや、カレーソースのレトルトパックも、味の多様化・高級化が進み、明治初期のあの“うどん粉、醤油・味噌調味カレー”と“柚子飯”の組み合わせは、想像すら出来なくなった。
ただ、家庭の味が薄れ、メーカーの味になっていくのは寂しい。
せめて、ルゥを2~3種混ぜたり、香辛料を追加したりして、お仕着せの味を“我が家風”に作り変えよう。
枝豆、茄子、グリーンアスパラなど、夏野菜をたっぷり入れて、夏こそカレーだ!
- 玉葱(1/2個)、人参(1/4本)、生姜(半片)はそれぞれ微塵切りする。
- 生ヒジキ(干しヒジキは戻して50g)は洗って水きりし、干し椎茸(1枚)は戻して軸を切り1cm角切り、枝豆(半カップ分くらい)は塩ゆでして莢から出しておく。
- 鍋に油を熱し、強めの中火で1を炒め、玉葱が透明になったら牛挽肉(150g)を入れて、パラパラになるまで炒めてから2を加える。
- 全体に炒め合わせたら、スープ(固形スープ1/2個を溶いたもの・50cc)、カレー粉(大1)、トマトケチャップ(大1/2)、塩・胡椒(各少々)を入れて、焦げ付かないように鍋底をこそげながら、汁気がなくなるまで煮詰める。
- 仕上げに醤油(大1/2)を回し入れ、熱湯をかけたレーズン(大1)を加えてひと煮。
※ヒジキの非ヘム鉄は牛挽肉と合わせると吸収がいい。レーズンも入って貧血防止、夏バテ予防。
《ば~ばの食べ物事典》を作りました。ご参考になれば幸甚。
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