(Ⅱ)ビールでキュウリ漬け
ただいま気を遣う旅行中なので、コメントの返事や、皆様のブログへの訪問など、遅れ気味でごめんなさい。
更新は予約していきますので、また読んでくださいね。
明日夜に帰宅後、なるべく早いうちに旅行中の記事をアップする予定
よろしく~。
紀元前3500年余も昔、チグリス・ユーフラテス両河に挟まれたメソポタミアに誕生したビールの原型。
エジプト辺りで育てられたビールは、間もなくギリシャに伝わり、地中海沿岸一体に伝播した。
しかし、美味しい葡萄が実り、それからワインを醸造していた民族にとっては、ビールは美味しい酒ではなかったのだ。
特にローマでは、ビールは蛮族の酒と蔑視され、腐りやすいこともあり、ほとんど飲まれることはなかった。
ビールの歴史は長いが、いまの形に近づいたのは、15世紀頃のドイツ、バイエルン地方の僧院で偶然に今までとは違う酵母が見つかってからだ。
この地方の低温では、ジックリと時間をかけた発酵が行われたが、長時間のうちに酵母が液の底に沈殿し、液の下面で発酵することになる。
これは、従来の上面発酵とはまるで違う風味のビールを生み出す醸造だった。
ドイツがビール王国になっていくスタートは、僧院の地下から始まった。
そんなビールは、どのようにして日本にまで伝わってきたのだろう。
1724年の春、幕府の役人は、江戸に長崎出島のオランダ商館長や医師を招き、海外事情を聞いた。
その時、オランダ人はビールを持参して振る舞い、これが日本人とビールの最初の出会いと伝えられる。
ただ、その時の役人たちの感想は、通辞記録『和蘭問答』によると、「・・・ことのほか 味悪しきものにて 何のあじわひも御座なく候・・・」と。
もっとも、このビールは、持参したオランダ人も「不味い」と感じたようだ。
その理由は、母国からはるばる木造帆船で一年以上もかけ、激しく揺られて運ばれてきた船荷だ。
途中は赤道直下も通るのだから、品質の著しい低下は免れまい。
それから100年ほどして、蘭学者・高野長英が、オランダ人から伝えられた上面発酵(現代の、イギリスビール【エール】【スタウト】などの淡色系)によるビール製法を試し、記録している。
この上面発酵は、古代から伝えられた製法だが、やがて発見された下面発酵の酵母は画期的に品質のいいビールを生み、濃色ビールの人気を高めた。
ドイツビールの名声が高まり、下面発酵醸造が各地で盛んになると、チェコのピルゼンでは、ドイツビールのような濃色は出なかったが、琥珀色で切れ味のよいビール【ピルスナー】が生まれた。
このビールが、今の日本ビールの流れになっているのだ。
ビールの話を書き出すとキリがない。
いろんな逸話は、またにしよう。
ビールは6~8度、触ってヒヤッとするくらいが美味しい。
ビールのカロリーは燃焼し易いので、それだけなら肥満になり難いが、ビールは食欲を増進する。
しかも肴が旨い・・・食べ過ぎる・・・依って、アァ、これ以上考えるのは止そう。
細かいことは気にせず、旨い肴で美味しいビールをグィッとーーー乾杯!。
フゥーッ!
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使うビールは、発泡酒でも、気が抜けていても構わない。
- キュウリ(3本)をよく洗って水気を拭き取り、両端を切り落とす。
- 1をビニール袋に入れ、ビール(50cc)、砂糖(50g)、塩(大1強)、赤唐辛子(1/2本)を加えて、袋の口をしっかり握って押さえる。
- 中身が飛び出さないように、2を袋ごと振って、キュウリに漬け汁を馴染ませ、そのまま袋の口を閉じて、冷蔵庫に一晩置く。
- 食べる時は、一口大に切って、冷たいうちに。
※ビールで漬けた漬物だが、ビールだけじゃなくどんな酒
にも合う。
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《ば~ばの食べ物事典》を作りました。ご参考になれば幸甚。
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