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2008年6月 8日 (日)

焼き鳥でグイッ~!

2150鶏の話となれば、やはりコレ!でしょ。

三回目は呑兵衛の親友(?)焼き鳥。

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駅の周辺の盛り焼場や飲食街には、必ずと言っていいくらい焼き鳥の店がある。

焼き鳥も、明治~昭和初期の頃には、天麩羅同様に屋台店ばかりだった。

2133大もてしてきたのは、戦後15~16年も経ってからで、とくに新宿駅東口界隈や有楽町(帝国ホテル寄り)ガード下が賑わったそうだ。

近頃のように店構えも立派になり、ビル地下にも店作りがされるようになるなんて、当時は誰も想像しえなかっただろう。

屋台店から本格的な店舗に変わったのは、天麩羅に次ぐ出世(?)かも。

それだけ、天麩羅も焼き鳥も愛された証拠だろうが、特に焼き鳥は勤め帰りのサラリーマンが安く飲んで、一日の憂さ晴らしをして帰路につく、格好の肴だったに違いない。

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memopencil

この焼き鳥の始祖は・・・と言うと、確たる資料は無いのだが、明治37年の『実業の栞』(文禄堂)に、

「・・・今も神田の仲町に往して之を業とするガラ萬と呼ぶちょん髷爺なり、祖父の代より同人に至って三代此業に従事せり・・・萬世橋付近の各焼鳥店は、皆此老爺より広まりしもの・・・」

とあるから、幕末あたりに【ガラ萬】という店が興ったと考えられる。

もっとも、江戸時代(1643)の『料理物語』にも「汁、いり鳥、刺し身、飯にも・・・」と記述があるから、鳥類は他の肉類とは別扱いだったのだ。

ただし、公認されていたのは野鳥だけで、ニワトリなどの家畜は食用禁止だった(卵だけは許された)。

その中にある焼き鳥の記述では、串に刺して焼いたのは鶉や雀のような小型の鳥であり、大型の鳥は切り身にして焼いていたと思われる。

それが、この『ガラ萬』が発祥と言われる焼き鳥では、初めから切り身を串に刺して焼いた。

その頃の焼き鳥は、肉だけか、せいぜい肉と葱を交互に挟んだもの、また臓腑類など。

挽肉に刻み葱など混ぜ捏ね、団子状にして焼くのは病人や老人向けの特注だったのだ。

鶏が公然と食用にされたのは、明治時代に入ってからのことだ。

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memopencil

焼き鳥に使うのは、食用の豆雛か若鶏雄、大雌、淘汰鶏(産卵量が減った雌)で、老雄は堅くてそのままでは焼き鳥にも出来ない。2198

鶏の肉の部位なら、

  • 1=胸肉・・・蛋白質も脂肪も多いが淡白。
  • 2=笹身・・・脂肪が無く、アミノ酸バランスがいい。
  • 3=首(こにく)・・・軟骨の多い部位、最近の人気。
  • 4=手羽先・・・ゼラチン質が豊富。
  • 5=手羽元・・・柔らかで淡白。
  • 6=モモ・・鉄分を含み深い味わい。
  • 7=モツ・・・たんぱく質、脂肪、ビタミンA、鉄分などが豊富。

鶏の脂肪には、不飽和脂肪酸が含まれるが、これは主として皮に多いので、成人病が気になったら、皮を外して使うのが賢明。

ほかには、砂肝やハツ(心臓)、レバーが使われる。

最近は、軟骨やボン尻なんていう部署も人気だ。

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memorestaurant焼き鳥盛り合わせ2132

焼き鳥には、塩焼きとタレ焼きがある。

塩焼きはいい塩を使えばそれなりに美味しく焼けるが、タレの甘さの好みは個人差がある。

因みに、私が作るタレは、“醤油5:味醂3:砂糖1”である。

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毎日『鶏の話』だと、皆様も飽きるだろうから、2~3日は小休止で違う食べ物を・・・。

次回からには各国の鶏の話と、鶏料理などを紹介する予定。

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crown富士通Azbyclub「プラチナブロ」殿堂(08・5)入りhappy01

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改訂《ば~ばの食べ物事典》を作りました。ご参考になれば幸甚。

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