父が逝った日
飲食が出来なくなる苦痛と切なさを夫の闘病で思い知りました。
健康でいられる大事さを再確認し、誰もが『美味しく食べたい』思いが続きますように。
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父が逝って45年になります。
12/12日は地方では『山の神の日』と言われ、天候が荒れることが多いのです。
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その年は、間もなく衆議院の解散もあると予測されていて、古くから参謀を務めていた有力議員に頼まれて、新人議員の参謀になった父は寝る間もないほど各地を走り回っていました。
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そして、親の居ない社員が結婚するにあたり親代わりも引き受けていたんです。
面倒見がよく、頼まれると断れなくて、自分がツライ時にも顔に出さず動いてします。
そんな父でしたが、自分の漁業資材会社も貸し倒れ状態で四苦八苦でした。
それでなくても忙しい、そんな歳末に誰もがまさかと思っていた衆参両議院の解散総選挙。
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スケジュール調整や、演説会場の確保、車や人員の手配…etc。
徹夜続きでしたが、その日は親代わりを引き受けた社員の結婚式。
朝風呂に入り、紋服に身を正して、猛吹雪の中を迎えの車で会場に向かいました。
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それから数時間後、宴会場から父が倒れたとの電話。
選挙の手伝いのために、大学を休んで帰省していた私が真っ先に会場に駆けつけました。
そこで目にしたのは、既に昏睡状態の父。
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父の友人で主治医でもあるK医師と共に、救急車で設備のある病院に搬送しましたが、父の意識は戻ること無く、間もなくそのまま逝きました。
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吹雪は翌日も翌々日も続き、葬儀の日だけ青空が出るほどに晴れ上がったのです。
「山ノ神に連れて行かれた」、父の周囲ではそんな囁きもありました。
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生前「網膜を提供して、自分が見られなかった世界や未来を見たい、これからの人にお役に立ちたい」と言っていた父。
ずっと聞いてはいましたが、あまりに突然で実現させてあげることが出来なかった悔い。
その思いを継いで、夫も私も何の迷いも無く『献体・臓器提供・アイバンク』と登録しました。
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母が「父さんの願いを叶えられなかった」と言った言葉は聞いてはいましたが、母の真意はどうだったのでしょう。
父の死後の母の苦労、母の嘆き、それでも88歳まで頑張った母の生き方…尊敬します。
夫を亡くし寡婦になったいまも、若くして寡婦になった母の思いには想像も達しません。
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私の生き方は父の背の教えのままにあるような気がします。
「アンタは紛れなく父さんの子、ソックリ父娘だ」と言われて育ちました。
その父の想いを理解してくれた夫、父が巡り合せてくれたとしか思えない出会い。
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父が逝った道、夫が逝った道…『戻りの無い道』には私への道標がたくさんあります。
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他には鰯の蒲焼缶詰め、ヒジキ炒り煮、もろ味キュウリ、ノーザンルビー(ジャガイモ)のニョッキ明太マヨソース。
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これからは私自身を守って生きて行くのが夫の思いに酬いることでしょう。
どうぞ、変わらずに見守っていただけますようお願いします。
富士通Azbyclub『プラチナブログ』殿堂(08・5)入り
改訂《ば~ばの食べ物事典》ご参考になれば幸甚。
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『女神の料理レシピ』(服部幸應監修)の「鰤料理レシピ」と「各地の女神・男神より(お餅の美味しい食べ方教えて、アイディア5)」にも掲載されています。
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山の神様が山の木を一本一本数える日なのですよね。
山仕事をする者も、この日だけは山に入ってはいけない掟。
仕事を休み、お神酒やお供えする行事が行われます。
その日にお父様が突然に亡くなられたのですね。
それからお母様は40年余も頑張られたのですもの。
きっと、ばーば様も悲しみを乗り越えて、自分の人生を歩いて行かれることと思います。
投稿: MONA | 2011年12月12日 (月) 22時38分
ばーば様、今日もまた、グッと来るお話...
お父様は短くも太く生きられたんですね....
駆け抜けて、走り抜けて逝かれたのですね....
突然、先に逝ってしまゎれたお父様...
お母様の悲しみは、想像を絶する苦しみだったと思います
お母様は、頑張ってこられたのですね...
お父様も、お母様も尊敬します。
じーじ様も、ばーば様も、お二人で決めて、強く深い絆で結ばれていたんですものね

巡り合わせですね
人は生まれ、いつかは逝く。
愛する人達に囲まれて旅立ったじーじ様、そして看取った皆様、それぞれに思いはあったと思いますが、きっと幸せだったと思います....
残された者の悲しみは深いです、でも、どう看取るのかというのも、大事なんだなと、あらためて思いました....
突然に逝ってしまう.....そんな悲しみもあるんですものね..
命は、強くもあり、儚くもあるんですよね....
だから、生かされている今を当たり前だと思わずに、感謝しなきゃと、思います。
ばーば様、暖かくして良い睡眠を取ってくださいね
投稿: エイ | 2011年12月12日 (月) 23時32分
おはようございます♪♪
お父さんが逝かれて45年ですか、・・・・・・。
生前は、とてもとても、ご多忙の日々だつたようですね。
詳しい説明から、伝わってきました。
お母さん、88歳まで頑張られた生き方、尊敬、・・・・・・。
惹かれました。
ソックリ父娘、・・・・・・。
思い出、・・・・・・。
いいものですね。
牡蠣焼き、・・・・・・。
食べたくなりましたよ。
ぜひ、・・・・・・。
昨日も、コメント&応援ポチに、恐縮です。
応援ポチ♪♪
投稿: siawasekun | 2011年12月13日 (火) 03時23分
突然逝ってしまう、余命を告げられての闘病後の旅立ち、どちらがいいのかはわかりません。
が、若くして突然だと、お互いに別れも告げず、持ってる愛情も伝えられず、残された遺族の悲しさ、悔しさは大変なものだと思います。
だから、いつも一日一日を最期だと思って生きなきゃと思うのですが、なかなか・・・ね。
投稿: persian | 2011年12月13日 (火) 03時46分
偉大なる父の存在。
それが今のば~ば様を支え、大きくされた原動力だったのですね。
そしてお父様亡き後、頑張ってこられたお母様。
本当に御両人ともご立派な方だと思います☆
投稿: やまがたん | 2011年12月13日 (火) 07時26分
素晴らしいお父様でしたね。
今の自分があるのは、親のおかげ。私も
この年になってやっとそう感謝することが
できるようになりました。
やはり、年はとるものですよね。
投稿: みどり | 2011年12月13日 (火) 09時59分
その日その時のご様子、最後の会話 鮮明な想い出・・。
胸がきゅんとなりました。
お父様は多くの方に愛され、頼りにされ、それを真正面で
受け止めてご尽力されるお方だったのですね。
連日のお疲れや体調不良は、口に出来なかったのかもしれ
ません。
ご自分のことよりも、周りのこと・・
本当! ば~ば様はお父様にそっくりなように思われます!
(ブログを拝見してる中での、ば~ば様像で申し訳ありません^^;)
お若くして寡婦となられたお母様。
本当の涙やご苦労は、子どもたちにはお見せにならなかった
でしょう。
でも、同じ女性として、お母様の気持ちを常々お察しだった
と思います。
ご両親を労い、尊敬の念をお忘れにならないば~ば様。素敵です!
目標はお父様であり、お母様であり、じ~じ様の生き方。。。
そのお心はきっと届いていらっしゃるでしょう。
ば~ば様が迷わないように、ご両親とじ~じ様が大きな道標と
なって下さっています。
どうぞ 頑張り過ぎないでくださいね
投稿: 背黒シマネコ | 2011年12月14日 (水) 05時09分
いつも温かくお見守りお支え頂いて頑張れて居ます、ありがとうございます
あれからも父の命日“山の神の日”は天気が荒れることが多くて、迷信も真実
父の急逝に立ち会ったのも私、夫を看取ったのも私…あの世への道中はどうあれ逝く先は同じ、父と夫は初対面で母に紹介されて照れ合ってるでしょうね
毎日のご訪問、応援コメントで力を頂けておりますことに感謝致します
言葉を交わす間もなく急に逝った父を思って、夫との時間を大事にしました
若いうちに急逝した父、残された母を見てきて私達は一緒に居られる時間を大事に出来ました
歳いくほどに父母の生き方・考え方が自分に沁みこんでいると気付きます
急逝した父と闘病した夫を看取ったので、まだ若いうちに死に別れた両親を思うと、夫とここまで一緒に遣ってこれたことに感謝しなければと思います
投稿: ば~ば | 2011年12月14日 (水) 08時19分