1年前のあの日は
美味しく食べられることが健康の証、みんなの『美味しく食べたい』思いが続きますように。
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東日本を破壊し日本中を震え上がらせた、あの恐怖の日から1年が経ちましたね。
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毎日が穏やかに過ごせて、三度の食事が頂ける幸せ。
当たり前のことが何気なく当たり前に出来る日々のありがたさを感謝します。
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大震災の当日は夫は退院中で、かなり痩せて体力は無くなっていましたが、まだやっとながら外歩きも出来ていました。
いつもは外に出るときは一緒なのに、「ちょっと車に居るから」と言って出たので一人でもあまり気にしなかったんですが。
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そんな時にアノ揺れ、まずは倒れる花瓶やら落ちる物を押さえたり避けたり。
夫のことが気になりましたが、車の中の方が安心だろうと思っていたんです。
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でも、揺れが収まっても戻ってきません。
割れた花瓶などを片付けて、車を見に行ったら居ないじゃないですか。
夫は携帯も持たない人でしたし~。
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心配も過ぎるとイライラしてきますよね。
かなりイラついてきた頃に「ただいま~、大丈夫だったかい?」
「何処に行ってたの?、車に居ないし、心配するでしょ!!」
「あ、果物は食べられそうな気がしたから、リンゴを買ってきたよ」。
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「ずいぶん揺れたね、スーパーの中も大変で、しばらくは通常の営業は出来ないかも知れないね」
私の心配をよそに、なんともノンビリした返事。
あまりの冷静さに余計にイラッとしたことを思い出します。
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いつでも、何事にも冷静だった夫は、自分の死も冷静に受容して逝きました。
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心配したり苛立ったりする日もあることが幸せな日常なんだと今更ながらに思います。
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他にはモヤシと菜の花茎のオイスターソース炒め、メカブとなめ茸茶漬け、キャベツとハムのコールスロー、温豆腐。
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冬の真鱈と春の菜の花…季節の変わり目にはこんな出会いものがいいですね。
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夫の思いに酬いるように、元気に生きて行きます。
どうぞ、変わらずに見守って頂けますようお願いします。
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富士通Azbyclub『プラチナブログ』殿堂(08・5)入り
改訂《ば~ばの食べ物事典》ご参考になれば幸甚。
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おはようございます♪♪
東日本大震災の日から1年、・・・・・・。
毎日が穏やかに過ごせて、三度の食事が頂けるのは、幸せですね。
つくづく、・・・・・・。
いつでも、何事にも冷静だったですか、・・・・・・。
ご主人、・・・・・・。
真鱈の薄塩焼き、・・・・・・。
食べたくなりましたよ。
ぜひ、・・・・・・。
昨日も、コメント&応援ポチに、恐縮です。
応援ポチ♪♪
投稿: siawasekun | 2012年3月12日 (月) 02時02分
ばーばさん おはようございます。
ご訪問・コメントありがとうございました。
3月11日。各地で色々な思いをした方が多かったことだと思います。
ただ、復興はまだまだ道半ばも進んでおりません。
これからも何ができるのか?
自分も自分なりにできることを考えていきたいと思います☆
投稿: やまがたん | 2012年3月12日 (月) 06時48分
ば~ばさん こんにちは^^
当たり前の生活がいかに幸せな事か
あの日以来思い知らされます。
昨日は各地で慰霊祭や追悼式が行われました。
私たちも静かな休日を過ごしました。
投稿: チーちゃん | 2012年3月12日 (月) 10時24分
ばーば様、こんにちは
一年前....去年.....
ばーば様も、私も、そして被災された東北の方達...
去年は本当に大変な年、忘れられない年、忘れてはいけない年になりました...
当たり前の毎日に感謝

あらためて感謝ですね
生かされている日々、大切に生きなきゃいけませんね....
投稿: エイ | 2012年3月12日 (月) 13時15分
一年前の3月11日、人それぞれにドラマがありましたね。
私もあちこち避難させられ(外にも5時間)帰宅は0時。
怖かった事、寒かった事、思い出します。
夫は、1月に入院し、その後会社に行ってはもう行けない、歩けない、と途中で帰って来るというのをくり返し、やっとどうにかちゃんと行き始めた頃でした。
結局あの日は、夜中の3時に帰宅しました。
その頃は会社があるので、自宅で毎日腹膜透析をしていたのですが(21時から5時頃まで)透析のスタート時間が遅かったので翌日(土曜日)の病院の予約時間に行けない事になってしまいました。
やっと会社に行き始めていたのが、地震の影響で駅のホームには人があふれ、足がふらついて何度か駅の階段から落ちてる夫は、ホームから落ちるかもしれない、とまた行けなくなってしまい、会社側が休んでいていい、辞めなくてもいいというのをとうとう5月末で辞めたのです(そして、6月からまた1ヶ月の入院、会社を辞めたからと、自宅での透析が辛くなっていたので、お腹の中のカテーテルを抜き、血液透析を始めました。ガンも見つかり切除しました)。
東北の人達に比べたら、大した事はありませんが、その後の計画停電も大変でしたね。
職場では、ガスがないので電気がないとお湯も沸かせず、寒かった。
帰りに駅に着き、停電だと家までの道が真っ暗で・・・
家でも何もできませんでしたね。
二度目以降の家での夜の停電は寝る事にし・・・といろいろ思い出していました。
その後夏も冬も停電はなくて良かったですね。
うちでも、タラの塩焼き、12日に頂きましたよ。
>冬の真鱈と春の菜の花…季節の変わり目にはこんな出会いものがいいですね。
本当ですね♫
投稿: persian | 2012年3月13日 (火) 04時51分
共に黙祷しました。
1年が早かったような遅かったような・・特別な時間の流れを感じました。
あれから・・明らかに人々の意識が変わりましたね。
人の絆 命の大切さ 今を生きる意味 変わっていくもの 変わらないもの・・。
誰もが明日の健康と幸せを望み、それが永久に続くよう祈ります。
でも安泰が続くほど、人々の記憶から緊張感は薄れてしまいます。
気づいた大事なものも霞んで、己の欲が顔を出します。
人間にとって自然なことかも知れないけど、それではいけない。
ままならない復興・歪んだ現実に向き合って、自分たちが出来ること
をしていきましょう!
生きながらえた命を無駄にしないように
投稿: 背黒シマネコ | 2012年3月13日 (火) 05時24分
ばーば様、おはようございます。
あの日は、多くの方に尽きせぬ痛みを残した日でした。
何がおきたか解らないままに、居なくなってしまった方達の無念は、いかばかりか…。探し続ける方の哀しみと徒労感はいかばかりか…。
胸ふたがれます。
看取って、言葉を交わせる、ということは、深く哀しくとも、後の偲ぶ気持ちの、小さな支えになっていくと、自分は祈ります。
まだ寒さが続くようです。お大切に。
投稿: 過労死予備群 | 2012年3月13日 (火) 07時25分
いつも温かなお心遣いを頂きまして本当にありがとうございます
ホッと心休まるコメントと日々の応援に感謝いたします
この先もずっと支援の熱が冷めないようにみんなで声を出し合わないとね
アクセスが復旧し物流も回復してきたようですが、まだまだこれからですものね
日本中でいろんな災害がありましたしね、多くの人が日常の大事さを見直したでしょうね
みんなが何らかの非日常を体験して、日々の生活を見直したでしょうね
追悼番組を見ては涙、感動秘話にも涙、涙・涙の一日でしたが、私はまだマシと思って頑張らねば
投稿: ば~ば | 2012年3月13日 (火) 07時33分
ばーば様。
舌足らずでした。
哀しみの形、重さに、比較する術はありません。
ただ。医療福祉の場にたつものにとっては。
やれることは果たしたと、穏やかに、旅立っていただけるように。
やれることは尽くした、そう振り返って、後に暮らす方の慰めになるようにと、願っております。
後悔は、生きる気持ちに影をおとす。
人は生きていかねばならないのですから。
無理をせず、ばーば様らしく。怒ったり、心配したり、笑ったり。してください。
投稿: 過労死予備群 | 2012年3月13日 (火) 07時52分
突然に津波に流され亡くなられた方々、いまだ遺体も見つからない遺族の方々…多くの悲惨な状況に胸が潰れそうです。
夫は穏やかに逝けたと信じて、最期まで看取れた私は幸せなんだと感謝しています
投稿: ば~ば | 2012年3月13日 (火) 07時55分