時代の先取りは
美味しく食べられ、小さな楽しみがある日々…『一病息災』で穏やかに優しく生きていきたい。
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平賀源内は“時代を先取りし過ぎた変人”と言われています。
源内の遣ったことはいろいろあるのに、広く知られるのは近所の鰻屋のために書いたコピー。
『丑の日は“う”』…四足を食べない時代に“う”と言われたら鰻でしょ。
<いつ食べるの?、丑の日でしょ!>
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大当たりして、江戸っ子は『初鰹』と共に『土用鰻』にも拘りました。
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正月に“破魔矢”を買うのも、源内のCMコピーから。
でも、実際にはそんなコピーライターが本業ではありません。
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画才も文才もあり、江戸時代から油絵を描き、万歩計を作り、エレキテルを考案。
しかし、いずれもが幕府から認められず、世間からも変人扱い。
やがて彼自身が受け入れてくれない世間に対して冷笑的な態度を取り、最後は獄死します。
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私には名を残せる業績は何も有りませんが、私の旧い友人は言います。
「あなたは遣ることが四半世紀早かったから、当時の流行にはならなかったね」と。
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私が美大時代に爪に絵を描き、目尻にガラス宝石を付け、腕にシールを貼って帰省するたびに故郷の駅では大騒ぎ。
しかも服装が個性的過ぎて…美大では“他人と違う”ことが当たり前だったのでしたが~。
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そこそこ名の知れた家だったので、駅に着くや否や、私の一つ一つをわざわざ知らせてくださる方々が居て、家に付く前に母の怒りは沸点を超え「盛岡を過ぎたら着替えて顔を洗ってきなさい!」。
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そんな“ネイルアート”が今では当たり前、目尻のガラスも、腕に偽タトウもね。
悪さをするわけじゃないので不良とは言われなかったし、激化し始めた学生運動に加わるでも無いしで・・・。
ちょっと目立つ格好をしていただけの私…目立ちたかったわけじゃなく、好きな風に気儘な化粧や衣装をしていただけなのですが。
ファッションとしてはモッズでもなくヒッピーでも無かったしで、単なるキワモノ的扱いだったのでしょうか。
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間もなく父が急逝し、夫となった男性と知り合い、そんな私を彼は面白がってくれました。
「イイじゃない、他人が気付かないこと、自分が好いと思うなら」と。
それでも、私はサラリーマンの妻として、なるべく«並み»でいようと努めたのですが。
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和服の褄を切り落として“作務衣風”にしたのもその頃ですが、年長の奥様方には大不評で「折角の和服を切って終うなんて」と。
私にしたら、着ないで箪笥のコヤシにしておくよりいいと思ったのですが~。
それが、いま「イイね、作り方を教えて」と言われるんですから。
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やがてCMに携わるようになった時、流行は常に半歩先に有ると知らされました。
2~3歩先でさえ流行らせるのは難しいのに、数十年も先取りでは…誰にも認められないんですね。
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余りに時代から先走るとたんなる“変人”“キワモノ”扱いです。
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強い思いで末期を生きた夫の思いに酬いるように、元気に生きて行きます。
私はみかけによらず臆病者なので、目立つのが苦手です。
コーラスでも全員集合写真でもなるべく後ろに隠れます。
今の若い人の姿を見るとドキドキヒヤヒヤするのですが、私の若かったころ年輩の方達は同じような思いで御覧になっていたのでしょうね。
だから私は娘にも息子にも服装のことをあまりうるさく言いませんでした。
それが良かったのか悪かったのか?
投稿: MOM | 2013年6月25日 (火) 17時25分
平賀源内のこと、先日テレビで見ました。
いつの時代にも、生きている時には評価されない天才がいるのですね。
それでも、良き理解者が傍に居れば幸せです。
そうでないと、迫害やら孤独の中で死んでいく事になる。
投稿: MONA | 2013年6月25日 (火) 22時53分
いつも応援をありがとうございます、日々の更新の励みになります
いつも温かいコメントをありがとうございます。
私も目立ちたいと言うより自分が楽しんでるだけなのですがね~
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いつも温かいコメントをありがとうございます。
和服にベルト、Gパンに桐下駄…そんな着方も分かって貰えないと変人です
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投稿: ば~ば | 2013年6月26日 (水) 16時55分