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2013年12月 6日 (金)

世相は移れど

sandclockmemo美味しく食べられ、小さな楽しみがある日々…『一病息災』で穏やかに優しく生きていきたい。

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真南に向いたベランダから東方向、ミズナラの紅葉した枝間からの朝日。

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そして西方向にあるコナラの紅葉した枝間からの夕日。

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アラ~ッ、何だか同じような写真…冬はベランダからの陽射しが部屋の奥まで差し込みます。
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いまなら考えられないでしょうが、私が学生だった頃には東京にもこんな人情がありましたよ。

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話の盛り上がりで、仲間で“初ギャンブル体験”と称して中山競馬場に乗り込みました。

マサカが現実になって、誰かがアナを当ててみんなで飲み会に突入。

競馬場から三駅ほど戻った小岩で飲み会をして、二次会、三次会と若さに任せて騒いでいつしか解散。

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始発に乗ろうとしたら財布が無い…駅前の派出所でお金を借りようと申し出たら、財布と一緒に学生証も無いし。

やたら小うるさい身元調査?で、まだ酔いが残ってた勢いで「もういいです、歩いて帰ります」

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確かに小岩から高円寺は総武線1本で帰れるのですから、線路沿いに歩いて帰れなくはないはず。

若かったんですね~、距離なんて考えませんでした。

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大啖呵を切って、線路沿いに高円寺目指して歩いたはいいけれど、信濃町辺りですでに日暮れ、私も息切れ。

そりゃそうでしょう、明け方まで飲んで寝ずに解散…歩いたはいいけれど靴はパンプス。

財布が無いから何も食べてないし。

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拾ったタクシーに「アパートに帰れば金はあるから」と言ったら、運転者さんが「そんな無駄な金を使うことは無い」と当時の電車賃相当の120円程度のお金をくれました。

「乗車拒否するわけじゃないけれど、高円寺まで行くより近辺で細かに稼いだ方がいいから。

電車賃は返さなくていいから…ギャンブルより学業に精出せ」とのお説教もその時は身に染みて。

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腹ペコの上に靴擦れが痛くて、運転者さんの名前どころかタクシーの社名も覚えてないのですが、いまでもあの時に神妙に聴いていた自分を思い出します。

いまだったら、ちょっと想像するだに怖い状況かな?

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もちろん、怖いのは運転者さんでは無く、私の無謀さですよ。

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小岩から信濃町まで(地図でご確認を)…信濃町からは電車で、腹ペコ&ヘロヘロでいつもの駅を出るのもフラフラ。

馴染みのおでん屋さんが「お代は何時でもいいから食べてけ、腹ペコだと余計に凹むぞ!」

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商店街はいつも優しくて、八百屋さんは売れ残りそうな野菜を呉れたし、パン屋さんは食パンの耳を大袋でくれたし。

魚屋さんはアラを、肉屋さんはちょっと焦げたり破けたりしたコロッケを持たせてくれて。

ラーメン屋さんやカフェではメニューやチラシを描くと食券を。

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もちろん、いつも貰い物があるわけでもないし、それで食事を済まられるわけはありません。

でも、そんなオマケは私を気遣ってくれるから…『出世払い』が学生を助けてましたね。

馴染みの商店街を歩くだけで、温かい気持ちになれてファイトが出たんです。

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最近、ふと感じるのは、いまの馴染みの店にも似通った空気が流れているように思えるんです。

殺伐としてくる日々、でも人情とか思い遣りって、細い糸なりに繋がっていくのでしょうね。

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※コメントは非公開で保留の設定ですので、直ぐには反映されませんがご了承ください。

また、悪戯や悪意のコメントは削除させて頂きます。

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また、“非公開で”の連絡や報告も書き込んでくださいね。

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強い思いで末期を生きた夫の思いに酬いるように、元気に生きて行きます。

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コメント

こんにちは!ミズナラの紅葉した枝間からの朝日が希望の光と思います

今晩は、朝日と夕日に照らされて環境の良いところですね。
昔の東京も色々ですよ。
私もば~ばさんと同じ時期に(たぶん)東京でお勤めしていたが
そんなお店やさんに遭遇したことなかったです。
いつの時代も世に言う世知辛い世の中で生きてきました。
まぁ私が人間的に魅力がなかったからですが。

温かいお話ですね。
ば~ばさんのお人柄を物語っているのでしょう。

ご両親の結婚式のお写真が手元に届いて良かったですね。
私の母の結婚写真も黒の着物です。
昔はこれが普通だったのでしょう。

木もれ日がやさしいですね。気持ちが沈んでいるときも、ほっこり、やさしい気分になれそうです。

絵に描いたようにすてきな、そして私が憧れていた、学生生活を送られたのですね。私は。。。関西出身の、しつけにとても厳しかった両親に育てられました。大学の4年間は、門限6時。友だちと飲みにいくどころか、夕食を食べにいったことも一度もありませんでした。遅れると母に叱られるのですが、何よりもひどく心配するので、必ず守っていました。進路についても、母の希望通りの学部にしました。他に進みたくて、何度か頼んでみましたが、「女の子だから」と聞き入れられませんでした。後に「あなたにはむやみに厳しくし過ぎたわね。ごめんね」と何度も言われました。「全然そう思っていないよ」と答えましたが。。。

その反動でしょうか、娘には進路決定の時にも一切口出ししませんでしたし、大学時代、飲み会の連続だった時期がありましたが、「酔っていると思わぬ事故があるから気をつけて」とは言ったものの規制しませんでした。酒豪の彼女は、お酒を通して友人たちといいコミュニケーションをとっているようです。ば〜ばさまのように、人の小さな人情に触れているのかもしれません。

「あなたのようにお酒が強いといいわね。私はほとんど飲めないから」というと「飲めない方がいいって。飲み代かかるし、太るだけだから」と言います。。。う〜ん、一理あるような…

ば~ばさん おはよう^^
本当に暖かな日差しは心穏やかになります。
青春ですね^^@
微笑ましく心温まるお話で気持ちが和みました。

朝、元気な小学生から「おはようございます」と、声掛けられると
その日一日が気持ち良く送れそうな気がします。

よい時代、よい想い出ですね。
「出世払い」
私が今、書いている(語る)おはなしも「出世ばらい」がキーワードです。
明日、みなの前で語ります。

お話のような商店街は田舎に行くほど少なくなったきがします。
若い人たちは駐車場のある大型スーパーに行くので、小さなお店が店じまいをするのでしょうね。
だから私は行きつけ?のスーパーやドラッグストアで、なるべく店員さんに挨拶をしてお話しをするようにしています。
そうするといつも笑顔で迎えてもらえますから。

お久しぶりです。
日本にたまに帰ると、こんな人情をあちこちで
みかけます。感じます。アメリカと日本との差って
こんなことかもしれないと感動しますよ。
駅前のおまわりさん。タクシーの運転手さん。
日本人は、親切です。
いつもコメントと応援ありがとうごじざいます。
やっと自分のペースができていました。

heart応援を頂いている皆様
いつもありがとうございます、今年の残り日数も少なくなりましたが気は急けど体動かずヤレヤレconfident


pencil幸奈様
コメントをありがとうございます。


pencilみかん様
コメントをありがとうございます。

学生でしたし、商店街のチラシを描いたり、たまには多忙時に手伝っていたからでしょうかcoldsweats01


pencilけいこ様
コメントをありがとうございます。

私が人懐っこいからかな…黒留袖なら結婚後にも着られたからでしょうか、質実の時代ですねsmile


pencilじゅんこ様
コメントをありがとうございます。

自宅からの通学と、地方から来てアパート暮らしとの違いもあるでしょうが…私は寂しがり屋の反動で人懐っこいから商店街の人たちも優しく受け入れてくれたんでしょうねhappy01


pencilチーちゃん様
コメントをありがとうございます。

私もその小学生のように、誰にでも人懐っこく挨拶していたから可愛がられたのかな?coldsweats01


pencilMONA様
コメントをありがとうございます。

学生の多い街では『出世払い』なんて店もたくさんありました、いい時代でしたねsmile


pencilMOM様
コメントをありがとうございます。

いまは東京でもシャッターを下ろしたままの店が増えています、でも商店街が協力して盛り上げる努力をしている街もありますconfident


pencilみどり様
コメントをありがとうございます。

日本人は基本的に“お節介”と言うか、他人の面倒を見るようです…でも最近はそれも怖い時代になりました「小さな親切、大きなお世話」とcoldsweats02

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