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2014年2月26日 (水)

♂or♀…人間っぽい人たち

toilet美味しく食べられ、小さな楽しみがある日々…『一病息災』で穏やかに優しく生きていきたい。

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私が学生時代…美大は何かと学費(材料費)がかかりました、いまでもそうでしょうが。

そのくせ、医大と違って元が取り返せるのはほんの少数、絵が売れなきゃ~ね。

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私はデザイン科でしたから、油彩科よりは少し就職口はあったかも。

ただ、私の就職は夫との結婚…友人の多くはデザイン事務所や広告会社、出版社に就職。

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さて、そんな学生生活の中、世の中は“70年安保”に向けて闘争が盛り上がる気配濃厚でした。

60年の『日米安全保障条約』の改訂が米国に有利な「不平等条約」だったと、“全学連”を中心にした左翼学生たちがマスコミに煽られるように実力行動にpunch

放っとけば70年安保は「自動延長」になりそうな気配で。

でも、米国でのベトナム反戦運動やヨーロッパでの左翼学生による「革命騒ぎ」に便乗した形で安保闘争が始まったのです。

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私の学生生活は殆どそんな時代の真っ只中でしたが、事実的には美大生の多くはノンポリで、時には他校の学生から「愛国心が無いのか!、売国奴め」なんて(lll゚Д゚)コワッ

闘争を担った多くは学生と一部の反日分子。

その後の冷静な分析では、70年安保は「マルクス主義」に被れた、いわば学生のファッション以上のものではなかったとまで言われています。

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そんな時代、大学の構内も近隣駅にもベニヤ板のバリケードが並び、檄文が貼られ、講義の休講・延期もしばしば。

ノンポリの学生は行き場が無かった…何かしていないとスト行動に駆り出されそうで~。

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その頃、父の親友が新宿東口・【二幸】横『百果園通り』で美味・珍味(いわゆるツマミ)などの店をしていました。

父が逝って、私はそこで販売のアルバイトの傍ら、似顔絵描きも遣らせて貰って…けっこう楽しく人生勉強していたんですが。

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店は珍味類を扱うだけに、バーやスナックなどの飲食店のお得意様が多かったんです。

普段の生活ではあまりお付き合いすることのないお客様もいて。

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出勤前で髭剃りまだのゴツイオネエさんに「オニイサン」と声かけてぶん殴られそうになったことも。

そのうちにそんなオネエサンたちに可愛がられるようになり、店に呼ばれてお客さんの似顔絵を描いて(結構な収入になりました)喜ばれて店に招待されるまでに。

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ただ、オネエサンたちの掟は半端が無くて、新宿公園での激闘に出くわしたこともあるんです。

♂と♀の色恋沙汰とは違って、基本的には♂vs♂の闘いですからね~。

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さらには、私たちとはほぼ無縁の世界ですが、通常“ホモ”と言われる方々は、普段は一般男性と見分けがつかない同性愛者の人。

“オカマ”と言うのは掘らせるという意味で多くはお金を貰って女性役をする人。

だから、ホモの方を“オカマ”と言うのは、例えば、普通の女性を“売春婦”と呼ぶのと同じ位、失礼な表現なのですって。

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オネエサンたちとの会話から、こんなことまでいつの間にか覚えました。

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さらに“ゲイ”or“ゲイボーイ”と言うのは、自分がホモセクシャルであることを隠さず堂々と生きる方への賛辞。

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いろんなオネエサンたちとの出会いがありましたが、浪人後に大学生になった私の最後の想い出は、、1968年10月21日の『新宿騒乱』。

前々年に父を亡くして、父の友人の新宿の店でバイトをしていましたが、夫と知り合って結婚。

全てを彼に託した私は騒乱に巻き込まれること無く、何とか無事に卒業。

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最近では“ニューハーフ”と称する「美人の女装男の子」ジャンルが流行り、♂にも♀にもアイドル的人気になり、その古き掟がどうなっているのかは分かりません。

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でも、いまに思うといろいろな経験をし、いろいろな(余分な)知識を得た新宿時代。

懐かしいとは思うけれど、足を踏み入れるのは躊躇された『花園町界隈』…年齢的に私もノンセクシャルの仲間入りでしょうから、そのうち行ってみようかしら?。

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※コメントは非公開で保留の設定ですので、直ぐには反映されませんがご了承ください。

また、悪戯や悪意のコメントは削除させて頂きます。

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また、“非公開で”の連絡や報告も書き込んでくださいね。

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強い思いで末期を生きた夫の思いに酬いるように、元気に生きて行きます。

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コメント

へえ〜、ほぉ〜 と感心するやら、驚くやら… それぞれの世界には、独自の「古い掟」があったので、うまくまわっていたのでしょうね。いま、その上面だけに憧れて真似をするという風潮が強いので、根なし草のような「文化」が、出ては消え、消えては出るのかもしれません。

ば〜ばさま、おもしろい経験をなさいましたね〜。 私はば〜ばさまの少し後の世代です。学生運動世代の名残が、構内でほそぼそ活動している頃に、大学生になりました。歌舞伎が好きで、「菊と刀」を読んで感動し、(大きな声では言えませんでしたが)大日本帝国海軍の秋山真之さんらに憧れていた大学1年生は、文を書くことも好きでしたので、迷わず大学新聞部に入部しました。そこで出会った先輩たちは、みんな「安保」をひきずり、全共闘世代を自認していました。先輩たちと私、お互いの価値観に驚き、私は多くを学び、考えさせられました。

人生の先輩のば〜ばさまに申し上げるのは僭越かもしれませんが、無駄な経験はないなぁ、と思います。つらかったこと、哀しかったこと、嬉しかったこと etc.etc. どれもが私の一部になっているような気がします。そして、ば〜ばさまのブログはもちろん、他の同年輩の方のブログも、私の義母や両親が話してくれることも。。。年齢を重ねた方々の言葉は、厚みがあって、心にしみます。

ば~ばさまとは本当に同じ時代を生きたんですね
今は“新宿アルタ”になりましたが私たちの時代は“二幸”ですよね
木馬やビレッジゲートなどジャズ喫茶によく行きました
どん底や風月堂に出入りするのがステータスみたいなところがありましたよね
友人で学生運動に傾倒していった人もいました
何か大きなうねりのある時代でした
懐かしいですね…。◠‿◠。✿あの時代

ばーばさまの青春時代は、日本の激動の時代でもありましたね。
オカマさんの激動の時代でもあった?!苦笑
自分の人生を振り返ってみると、笑うことや冷や汗をかくことも
あるのでしょうか。ご主人とのご結婚が、ばーばさまの人生を
大きく変えましたね。新宿。放浪してみてくださいな。
何か、発見があるかも知れませんね。ブログにて発表してくださいね。

「愛国心」「売国奴」これって戦時中によく使われた言葉なのでしょ?
時代錯誤?
「全学連」の騒動も見るのはテレビだけで、田舎にはそういう風はあまり吹きませんでした。
あれは何だったのでしょう?
70年の安保闘争の時は高校生だったかな?
20歳で結婚した私には微塵も影響がありませんでした。

heart応援を頂いている皆様
いつもありがとうございます、やっと春めいてきたと思ったら、週末は雨予報…雪よりマシかしらconfident


pencilじゅんこ様
コメントをありがとうございます。

あの時代の学生たちの熱気、戦後の急速な復興・発展から生まれた格差社会の歪だったのでしょうか…行動に賛同はしませんが改革や革新に燃える若者が居なくなりましたねthink


penciltime様
コメントをありがとうございます。

ジャズ喫茶行きましたね~、新宿通りの【木馬】より、【王城】近くの【ヴィレッジゲート】は少し軟派で女性も入り易かったかと…大きなうねりをかいくぐるように、ちょっとデカダンスにアンニュイ気分なんて恰好付けてました(あの辺りですれ違ってたかも)coldsweats01


pencilみどり様
コメントをありがとうございます。

あの時代の熱い波、物凄いエネルギーだったと思います…可否は別にして昨今の個人的残虐さとは違ってると思います(どっちにしても暴挙は否定しますが)think


pencilMOM様
コメントをありがとうございます。

MOMさんはずっとあとの世代ですものね…大荒れした時代の波は『浅間山荘事件』で終局を迎えたのではないでしょうかconfident

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