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2015年6月23日 (火)

映画『望郷の鐘』

movie美味しく食べられ、小さな楽しみがある日々…『一病息災』で穏やかに優しく生きたい。

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「中国残留孤児の父」と呼ばれる山本慈昭さんの生涯を辿る、映画『望郷の鐘』を観ました。

主催『平和映画を上映する会』、後援『多摩市教育委員会』

山本さんは自らの満州での過酷な体験から、人生の後半全てを残留孤児の肉親捜しに捧げ、孤児たちを献身的愛情で支え続けた方です。

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映画の粗筋は…。

Rimg0004国民小学校教員をも務める村の『長岳寺』住職・山本慈昭は、村長らの「1年だけ」と言う説得で、家族と共に昭和20年5月1日に渡満。

行ったのは、満蒙開拓団・長野県下伊那郡会智村(現・阿智村)からの“阿智開拓団”。

しかし、着いて間もなくの8月9日にはソ連侵攻が村に…一家は開拓団と共に逃避行を続けます。

やがて、ソ連兵に捕まり収容所に送られ、16歳以上の男性はシベリアに抑留、慈昭も送られました。

過酷極まる土地での強制労働が1年半、慈昭は奇跡的に抑留生活から解かれ帰国。

帰ってきた故郷で聞いたのは“阿智開拓団”はほぼ全滅、慈昭の妻子も亡くなったと。

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寺に戻った慈昭は、日本に強制連行されて亡くなった中国人の遺骨返還運動を進めます。

そんな彼の元に、中国残留孤児から手紙が届き、それを機に慈昭は国に先駆けて孤児たちの日本への帰国救済運動に。

熱い想いは、やがて国をも動かし、次々に孤児が見つかり帰国や里帰りが実現。

そして、慈昭は中国人に育てられ成長した娘・冬子と再会できたのです…慈昭は83歳になっていました。

そして、冬子は少しずつ「満州でのこと」を語り始めます…。

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我が父は開拓団ではありませんでしたが、私の生まれた瀋陽からも大勢の人たちが引き揚げました。

まだ赤ん坊だった私は、幸いにも両親と離れ離れになることなく日本に連れて来て貰えました。

でも、なんと多くの乳幼児が残留孤児になり、中国人に引き取られ育てられてきたことでしょう。

貧困の中でも親として日本人孤児たちを守り育てて…いつの日か日本に帰すかも知れないと証拠になりそうな品を秘かに隠して置いた中国親の心情sweat02

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慈昭の役を務められた内藤剛志さんは「二度と戦争をしてはいけない。

銃弾が奪えるのは人の命だけ、人が人を思う気持ちや諦めない気持ちは止めることが出来ない…そんな映画です。

戦争をしてはいけない!、その言葉に矛盾するようですが、戦争なんかに人は負けないと、この映画から感じます」と。

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「人は戦争などに負けない」でしょうが、戦争が残す心身の傷跡は生涯癒えません。

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また、悪戯や悪意のコメントは削除させて頂きます。

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コメント

以前は戦争の悲惨さを伝える映画ありましたね
日本の子供たちを引き受け育ててくれた中国の養父母たちにも頭が下がります
リアルに戦争体験はありませんが、焼け野原の中で過ごした幼児期は忘れられない事が沢山あります
今日「沖縄、慰霊の日」のニュースで見ていると、
戦争が無かっただけでも幸せな時代に生まれたのだなあと思います
ば~ばさまが「戦争は駄目!戦争は反対です」と叫ぶ声、若い人に届いて欲しいです
迷彩服を着て仮想の敵国を作ってのサバイバルゲームが大層な人気らしいです
平和が故でしょうが…危うさを感じます
戦争絶対反対です!戦争は絶対駄目です

penciltime様
沖縄『慰霊の日』での安倍首相の態度や読み上げた「平和宣言」の白々しさ・空々しさに怒り以上に恐ろしさを感じました、沖縄の方々は今でも苦しみ大きな犠牲を払っているのに~まだ米軍基地を拡張し、戦争支援する…そんな首相が沖縄で「平和宣言」、誰が信じるでしょうthink

実話なのですね。
観てみたい映画です。

pencilMONA様
戦争に纏わる悲劇は数多あるでしょね…事実は小説より~ですconfident

おはよう^^
亡き義父が良く戦争の話を自慢げに話してました。
余り良い気持ではなかったですね。
戦争になんの得があるんでしょう
平和に勝るものはないと思っています。

pencilチーちゃん様
お義父様にも苦い思い出はあるでしょうが“弱み”になりそうな事を隠すのは戦前オトコの常かもconfident

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