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PTSD(心的外傷後ストレス障害)

美味しく食べられ、小さな楽しみがある日々…『一病息災』で穏やかに優しく生きたい

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Photo_20201021173901 殆どの日本人は「人種差別なんて~、私はしない」と思ってるでしょう

でも“格差差別”となればどうでしょう

『上級国民』なんて言葉があるのですもの・・・下級国民には想像も付かないほど優遇される方達が居るのでしょうね

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菅総理が「私は農家の出で派閥も学閥も地縁も血縁も無い」とアピールされてますが~これも「差別意識(利用)」なのかも

秋田の農家だってピンキリ・・・“おしん”のような生活を想像してたら大間違い(*☉д☉)☞💰

農家=貧乏って、これも差別じゃ無いですかね(友人宅は米農家ですが、御殿のようなお住まいで)

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差別心は、国籍や肌色に限らず学歴や職種、時に収入、性別や年齢.思考や趣味など生活のあらゆる面で出てきます

そして無意識に意識している自己規範の範疇からはみ出た人を避ける

そういうことを批判している私だって、側に寄って欲しくない人も居るもの~༼༼๑→ܫ←p༽༽

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最近、各国でこの差別が問題視されアメリカでのBlack Lives Matter (BLM) 運動の広がり

「Me Too(「#metoo)運動」など有りますが、勘違いされ易いのが同意語の「私もよ~」

※「Me Too」「#metoo」・・・欧米では、被害を告発する「私も」運動と、被害の撲滅を訴える「タイムズ・アップ(Time's Up)」運動が存在しますが、日本においては被害告発の「私も」運動と、被害撲滅を訴える「タイムズ・アップ(Time's Up)」運動が存在混同され主に性被害の「#Me Too」に用いられることが多いようです

どちらにしても、被害者の訴えには違いないのですが

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また『異端の鳥』などの映像化が刺激的で話題になったり・・・差別=人の歴史のような

直近では自民党衆議院議員M.S氏や足立区議員T.S氏の発言など・・・生きることも否定しかねない

なんでそういうお考えに至るのかと…考えるほどに物議以前の不可解

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でもね~そんな言葉が「未だマダ」…と言う悲惨な過去がたくさんあったのです

敗戦後に同地区仲間のためにと襲ってくるロシア兵に「身を(強制的に)差し出しされた女性」の・・・“皆の命を守るため”泣き泣き行ったのに~帰ってきた朝は皆の白い目・・・そんな自伝もありました、同じ日本人??

目の前で現地民に強姦される女性を遠巻きに見ていた同国民・・・そんなことが日常で

胸が、心臓が張り裂けそう…似たような体験のある方は(ゴメン、我慢してネ)

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石礫の痛さと言っても・・・喧嘩して投げられる石礫よりもっと痛い心を壊す石礫があります

石が当たった痛さ以上に、石(酷い言葉)を投げつけられる行為の理不尽さからの心の痛さ

イマで言えば『虐め』…「弄り」「オハブ」「シカト」…言葉は変わっても差別する芯は同じ

それを知ったのは、やっとヨチヨチ歩き出来た頃?

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満州から命からがら引き揚げてきた父母たちは母国での同胞の仕打ちをどう受け止めたの?

佐世保に上陸時“歓迎・お帰りなさい”の大プラカードの下、DDTの粉嵐の陰で国旗を振り礼服を纏った人たちの冷ややかに刺す視線

命からがら帰還した人たちに、それがどんなにが心痛かったと(これは加藤登紀子さんも書いておられますね)

イマでは知っている人も殆ど亡くなり、知っていても口には出さなくなりましたし

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私は“ギリ戦後っ子“だったので両親の受けた引き揚げ者屈辱を知るのは寸時後からですが~

引き揚げ中に“オムツも無い”“離乳食も無い”日々で我児を現地の方に託さざるを得なかった方々

それは現代の虐待とは真反対「我が子だけは生かしたい」との親の愛・・・私の両親にも「置いていけ」と親身に勧めて呉れる方が居たと

特に王さんは何度も「H子は桃みたいに可愛いネ・・・私が大事に育てるネ、約束するネ」って

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引き上げの途中の悲惨な事件や屈辱などにも耐えられた“帰国”への熱望

時に手を差し伸べる現地の人も居たでしょうに…何が何でも帰国したいと殆どの日本人は念じ

頼れると信じた親戚・親友…皆その日暮らしで何処へ寄っても“庇を貸す”どころか邪魔者扱い

結局は父の生まれ故郷“青森”に辿り着き、空襲で焼けた跡地の駅前でのテント暮らし

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駅の電光ニュースに映った仮設テントに「あ、Hちゃんチ(家)」と片言で喜ぶ私に父は

「何が何でも、金儲けして家を持ち、この子には不自由させまい」・・・父は頑張りました

オイ!!引き揚げ者』・・・何もしてないのにツブテが飛んできます、同じ日本人なのに~

何も悪いことをしてない、国策に沿って頑張って敗戦で母国に戻ってきただけなのに

父は悔し泣きの涙を力に・・・闇市の売買から米軍居留地の食料も仕切り・・・若者の出兵で衰退一方の漁業推進を目指して船や漁網の資材会社を起ち上げ帰還兵を雇用

私は市内でも金持ちが通うと評判の幼稚園に・・・虐められることもありましたが親友も出来

特に親友になったのが市内随一の老舗醸造企業の長女、母堂には疎まれましたが仲良しで・・・

後に名門女子高~大学・・・大手企業社長夫人に、有名婦人誌に掲載されましたが残念ながら早逝

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両親の意地?で、でも子供心にも感じることが多く・・・何とかツブテの痛さもに耐えて育ち

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金回りが良くなるとフシギな事に~父が着流しで花街を歩こうものなら彼方此方から声がかかり

でも、母の策略でいつも私がお供~でも、食い意地の張った私は豪華なお膳と禿さん達に夢中

派手に花街で遊ぶ父は「此処にいるコ(娘)たちは家族を養うために着飾ってるんだ」と涙目

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一軒家に移り、父の豪遊にお供しても・・・テントに当たる石礫の恐怖は心に染みついています

虐め主導していた子は今でもフルネームで覚えていて・・・先日の『羽鳥真一Mショー』で玉川氏が官僚の”無謬性のことを語り、いたく納得

虐め主導のその親が官僚で・・・“官僚は自分はもちろん家族も間違ってるとは死んでも言わない”と・・・森友問題の佐川氏、池袋事故加害者etc・・・官僚絡みの事件は悉く然り

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近所の“引き揚げ者住宅”に引き揚げ中に両親を亡くした兄妹が、父母は「H子だって~」と

その兄妹は、いつも怯えた目をして・・・近所の悪ガキに石礫や棒切れで追われていました

「俺ら、引き揚げ者だから~」と兄ちゃんは寂しい目でポツリ・・・やがて中卒で父の会社に

引き揚げてきても親族にも受け入れられず、山の中腹の開墾地で育てた不揃いの野菜をリヤカーで朝市に来ていた人たち・・・午後になっても半分以上が売れ残り・・・それを父が買い上げて母が大鍋で煮込んだり炒めたり

だから、いろいろな過去を背負った人が集まってきます(不心得な人も多かったけど~)

そして『ピロシキ売り』のロシアのお爺ちゃん・・・樺太から追われた人・・・でも追ったのは同胞のロシア人

揚げ油が無くて我が家で揚げていたことも・・・その代わりにと置いていくピロシキは美味しかった!

そんな哀しい、寂しい、持って行き所の無い目をした人たちが父の許に集まってきました

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それでも、たまに夜中に“石礫”の怖さ、「引き揚げ者だからね~」のヒソヒソ声

最もその悔しさを感じたのは『健康優良児表彰』・・・私はクラス担任からも「絶対一番」と

母はそのためにプライドを掛け、なけなしのお金で歯科も小児科も検診を怠らず・・・

私は引き揚げ直後に“ジフテリア”に感染し、母は何処も受け付けてくれない小児科を高熱の私をおんぶして何軒も訪ね歩き(救急車なども無く)・・・直線距離でも25km(訪ねて寄り道しながらなら????)

真夜中に・・・ジフテリアを断らず受け入れてくれたそんな医師だって居たのに

間違いなしと言われていたその座は同級生で学校指定医(市医師会副会長)の娘に

私は「ジフテリア既往症有り」で末梢された(それが私の“人間不信?”の基かな)

そして、私を一押しし続けたS先生は飛ばされた~~「駆け落ちした」なんて尾鰭付きで

何もかもに『引き揚げ者』の壁が、同じ日本人からの差別・・・考え及ぶ人は居るかしら

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母は私の成績に拘り、名門高の入試を終えた夕方に敢えてテーラーに制服をオーダーしたり

旺文社東大模擬テストで東北50傑の生徒氏名が掲載された新聞を自慢気に数紙を買い込み

反面で、父は陰口や石礫から私たちを守り、同じように理不尽な虐めに合う人を庇い続け

でも、持って行き所の無い理不尽に酔い潰れる日が増えて・・・50歳を超えて間もなく急逝

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幼い頃の記憶なのに、同じ日本人からの石礫の恐怖はいつまでも・・・゚ ゚ ( Д  )💢

この歳になっても突然に涙が溢れる夜が有り、「私が居る、私が守る」と言って抱えて呉れた夫も逝き・・・数時間は涙の中に居ます

でも~それはそれで、独りのイマでは思いっきり泣いてお風呂に飛び込みゴシゴシと全身を洗って・・・それで終わりにする“歳の功”

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石より痛い“ツブテ”は時と共に変わり・・・否、被害を言えなくなった風潮がコワイ

イマの政府、とくに菅総理の目・・・石礫の首謀者のあの子とそっくり・・・(*☉д☉)☞

私の『PTSD(心的外傷後ストレス障害)』が、何十年ぶりに“頭痛”や“不眠”という形の心身症として現れ、医大から「かかり付け医」として紹介されたスゴックご年配の院長先生が気付いて薬を考えてくださる

いま、いろいろな薬を試している処・・・医師が話を聴いては処方を替えてくれて

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虐められた経験のある人なら解る、自分以外を受け入れない氷塊のような冷たい眼底

どんな話をしても表情(眼の光)が変わらない・・・非情な目の光や動きは決して見せない

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政治にも学問にも仕事や結婚・・・あらゆる処に差別が顔を出しますが「負けないで!

私は人として差別をする考えから民族、格差を超えて“生きる”を守った父の子・・・そして

精錬・誠実な夫に出会え言われ続けた「精一杯、生きろ」・・・でも私は何も出来ない💧

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コメント

「大地の子」を思い出しました。
このコロナ禍で、豊かだった社会が頭打ち、様々な歪みが出ています。
直ぐに影響が出るのは弱いものたちです。
生活のレベルを落とすのは簡単なことではありませんから、ごく身近な家庭でも子供への虐待、それがこども同士な虐めへと拡散という負の連鎖になっていく気がします。とても心配です。

>もな様
苛めや虐待、自死などコロナ禍から増えた気がして心痛いのです
政府の経済政策も、結局はゆとりのある人たちが楽しめても仕事を失ったり削られたりで収入源を失った人まで救えないし

戦時中、とても苦労されたご両親の事や、ば~ば様の生い立ちを拝見し、驚きました。お父様やお母様の奮闘にも頭が下が りました。よく頑張ってこられましたね。
その様な素晴らしいご両親のお子様ですから優秀なば~ば様が誕生されたんですね。
この近くでも満蒙開拓団がいたり、我が家の叔母さまも満州から命からがらの引き揚げ者で、帰国できた話しなどを聞く機会があり、身につまされる思いを亡くなる寸前に聞かさせて貰ったことが忘れる事が出来ません。
一旦戦闘状態になると、人間が凶器となり相手を所構わず殺してしまうこと。精神的にも変わってしまうことの恐ろしさを、戦争体験者に聞いたり、講演会を聞いたり、ドキュメンタリー番組で情報を得たりしましたが、やはり平和な社会を望まずにはいられません。
如何しても虐めの心が働く方もいると思います。その心を自分の身に置き換えて考える事が出来ない物かと思ってしまいます。
今回、首相の交代がありましたが、所信表明通りで事を動かすと虐政が始まり益々身動き取れない状態になってしまわないかと危惧してしまいます。
コロナ禍中、基本的人権が果たして上手く起動されるのか、心配の要因がまた増えました。
長くなり、ごめんなさい。

>yasu様
戦争を知る人が本当に少なくなり、また語る人も居なくなりました
政権中枢がどう考えると戦争が始まるのか・・・その過程を繰り返しそうな怖さが
コロナがその不気味さを露呈し始めたのだとしたら、震えがきます(゚Д゚;)))

昨夜は疲れて眠くて、拝読を中断してしまい、今、じっくりと拝読させて頂きました。
ば~ばさまの「生い立ちの記」ですね。
大変なご苦労の中にあっても、大事にば~ばさまをお育てなさったお父さま、そして お母さまの事を知って感動致しました。
そのようにして、ば~ばさまの豊かな知性は育まれたのですね。

差別意識には個人差があると思うし、種類も様々ですね。
私が家庭内の差別を感じ取ったのは、小学校高学年の頃からだったでしょうか?
母は後妻で、腹違いの(先妻の)姉が3人いて、差別があったのですね。祖母から敗戦後の食糧難だった当時こと、母のことなど諸々聞かされて、胸を痛めたことでした。

今はコロナが心配です。
子供たちが感染すると仲間外れにされるとか・・・

>hikobae様
「差別」意識がない差別もあるし、時代の中でいろいろな差別も生まれるでしょう
いずれにしても差別を感じた身にはいろいろな形での心傷が残ります

コロナでは職業によっての言われ無き差別が・・・胸が痛む問題ですo( ≖ˇ﹏ˇ≖)o

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