間際まで自力排尿
飲食が出来なくなる苦痛と切なさを夫の闘病で思い知りました。
健康でいられる大事さを再確認し、誰もが『美味しく食べたい』思いが続きますように。
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10/28日の午後から危篤状態になった夫は14:30からモルヒネの注入を始めました。
気管が閉塞しているので送り込む酸素量もMAXで加湿付きです。
あまりに息が荒くて酸素マスクがずれるので弾性包帯で固定。
薬が効いてきて、息苦しさは少しマヒしたようですが、眠りはまだ浅くて肩で息をしながら時々目を開けます。
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そんな状態でも尿意を感じるとベッドから足を下ろそうとするんです。
入院してからは、夜だけじゃなく昼も自分でベッドに腰掛けて尿瓶を使っていましたから。
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「眠くなるお薬を使ってるから、ベッドから転がり落ちたら危険でしょ。
今の座った状態のまま、ちゃんと採って上げるから大丈夫よ」
お腹に力が入らないので、なかなか排尿されません。
下腹をさすりながら、しばらく待っていると「出ました」。
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拭いて下着を直していると「ありがとう、こんなに遅くまで居て疲れたでしょ。
腰が痛むから帰りなさい」と、力の入らなくなった手を私の肩に置こうとします。
「今夜は泊まるから、オシッコも安心して」と言ったらニッコリして「おやすみ」
すでに時計は29日になっていました。
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朝までに3回、自分で尿意を訴え、看護師さんの手を借りるのはイヤで私の手を借りて自力で排尿。
モルヒネで眠りに入り、意識が遠のき始めて朦朧としても、尿意には目覚めて起き上がろうとした夫。
「この状態で自力で排尿した患者は初めて」と看護師さんを驚かせました。
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朦朧から昏睡に近い状態になってきたのか、ベッドを倒しても苦しさを感じないようになりました。
採尿管を拒否し続け、パットも嫌がり朦朧としながらも自力で排尿していたのですが。
朝からは尿が出ていません、念のためにパットをあてて貰いました。
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29日の午前中には、呼びかけると応答できたし、笑顔も見せてくれました。
そして、29日の夜にはどんな呼びかけにも何一つ反応が無くなり、完全な昏睡状態に。
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30日も1滴の尿も出ませんでした。
足や手に紫斑が現れてその時が近いことが分かります。
夕方「何か今夜着せて上げるお着物はありますか。
病院にも用意はありますが、もしお気に入りの浴衣でもあればそちらの方が」
言われて直ぐ、タクシーを飛ばして家に行き、浴衣を抱えて引き返してきました。
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その僅か40分ほどの時間も、気持ちはタクシーより走って走って。
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肩でしていた息も鎮まり、穏やかな呼吸が少しずつ少しずつ遠のいて、夜の闇に吸い込まれるようにスーッと消えました。
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翌31日朝、霊安室で対面した夫は「ヨッ、成田屋ぁ~」と声をかけて上げたくなるくらい粋でした。
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夫が気に入って仕立てて貰った本藍染の『三枡繋ぎ』(歌舞伎文様のひとつ)柄の浴衣。
仕立てた年に1度着ただけで、クリーニングして糊がピンと利いています。
古典江戸柄で「Tさんは着物のセンスもいいのね~、似合ってる」と誉められましたよ。
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仏壇などにお供えする精進料理と違って、その人が座っていた場所に出す蔭膳には、その人の好物なら魚介や肉類も使っていいそうです。
ちょっと気楽に作れます。
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今夜はミニ帆立とエリンギなどをオリーブ油で炒めて塩コショウ味。
他には夫の好きだった鶏肝のワイン煮、姫竹と若布煮、菊花とホウレン草の酢の物、刻みレタスのタルタル。
鶏肝の赤ワイン煮も、菊花のシャキシャキ食感も好きでした。
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これからは私自身を守って生きて行くのが夫の思いに酬いることでしょう。
どうぞ、変わらずに見守っていただけますようお願いします。
富士通Azbyclub『プラチナブログ』殿堂(08・5)入り
改訂《ば~ばの食べ物事典》ご参考になれば幸甚。
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『女神の料理レシピ』(服部幸應監修)の「鰤料理レシピ」と「各地の女神・男神より(お餅の美味しい食べ方教えて、アイディア5)」にも掲載されています。